11月1日(日) 下関海響マラソン2015に参加してきました。何とネットタイム3時間58分49秒でサブ4達成です!!
マラソンデビューは、6年前の下関海響マラソン2009のグロスタイム5時間55分05秒でした。青太では、2011年、2012年にサブ4を達成しましたが、下関海響マラソンは、7度目のチャレンジでようやくサブ4を達成することができました。
栄光のフィニッシャータオルです!!
10月31日(土)、業務と予定外の用事のため一旦参加を諦めて、20時頃ふて寝を決め込みベットに横になっていると、息子が大会参加を促しに来ました。そこで、妻と息子に『直ぐ寝ろ、0時に下関に向かって出発するぞ』号令をかけて3時間の仮眠。
11月1日(日)大会当日の朝0時に、バタバタと準備をして、宮崎より一路下関へゴー!
宮原SAで、早めの朝食をとって、6時には下関の実家に到着。
テーピング、着替え、トイレを済ませて、路線バスで7時過ぎに会場へ向かいました。
ちょっと肌寒いくらいのマラソン日和。
本年度から、受付が完全廃止され、ナンバーカード・計測チップ及び参加賞等が10月中旬に自宅へ郵送されているため、スタート1時間前にしては、例年に比べ少々ゆったりとした集合のように思えました。
男子更衣室に行き、羽織っていたジャージを脱ぎ、寒さ対策のためライトウインドブラーカーを手にしましたが、走ればきっと汗が出てくるだろうと思い直し、上は大会参加賞のTシャツで参加することにしました。
実家の母に、おにぎりを2個つくってもらっていたので、スタートまでの待ち時間にエネルギー補給しました。
さらに、Bブロックに並んだ後も、試供品としていただいていたアミノバイタルを小出しにすすっていました。
後から考えると、この栄養補給が早朝5時の朝食によるガス欠をかなり防いでくれたように思います。
沿道には、今年も県内各小中学校の児童生徒の応援メッセージが記載された旗がずらりと並んでいました。
ゲストランナーに、千葉真子、猫ひろし、間寛平、波田陽区 等々ビックリでした。
8時30分、号砲とともにスタート。
何時ものことながら、10kmくらいまでは、自分の走るスペースを確保するのも大変な状態でした。
下は、今回の走行状態ですが、0~5kmの混雑時と15km~20kmの含むトイレ休憩の5kmのスプリットタイム30分を除き、ほぼ27~8分で走っており、さらに35km~40kmでは27分をマークしており、我ながら久々に頑張ったなと思いました。
今回の好成績を分析すると以下の通りです。
1 エネルギー補給がうまくいった。
スタート前のおにぎり2個
スタートから10kmまでのアミノバイタル
10kmから20kmまでのスポーツようかん
30kmでのアミノバイタルの補給
(毎年ここで味の素さんが配布)
各エイドでのバナナ
2 練習の成果
10月の月間走行距離は300km
2週間前の100kmマラソン参加
(66kmでリタイアだが、筋繊維の破壊と再生に役だった。)
(急峻な坂を走行したため、海響コースの坂が苦にならなかった。)
(折れそうな心を100km大会と比較して支えた。)
大会前の2泊3日の県外出張時も現地で35kmランニング。
10月からジムで筋トレを再開した。
(20kmを過ぎても身体が軽く感じられた。)
3 その他
ペース配分がよかった。前半、はやる気持ちを極力押さえた。
25km以降、攣りそうになる脚を速度を抑えたり、走行方法を変えて耐えた。
GPS腕時計の表示を3行表示から2行表示にし見やすくした。
(時刻表示は、右の腕時計にすみ分けした。)
気象条件がこの上なく良かった。
家族やスタッフ、沿道の観戦者に支えられた、
いずれにしろ、残り10kmは、記録を意識してがむしゃらに走りきった満足感がありました。
ゴールで、メダルとフィニッシャタオルが『お疲れ様でした!!』とのねぎらいの言葉とともに渡されます。
そして次は、『水分補給をしてください!!』と冷えたスポーツドリンクが手渡しされます。
そして、『完走、おめでとうございます!!』と記録証が手渡されます。
そして、次は、ヨーグルトの振る舞い。
そして、下関ならではの、ふく鍋の振る舞いです。
本年度の完走メダルです。
本日のワークアウトは,下関海響マラソン2015、走行距離 42.195km グロスタイム 4時間00分22秒 でした。 ネットタイム 3時間58分49秒 でした。
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