2018年7月18日水曜日

H30五ヶ瀬マラニック完踏記2日目

 昨日は、よっぽど疲れていたのか、あっという間に意識を失い爆睡でした。
 しかし、2日目のコースの心配もあり、4時頃には目が覚めてしまいました。
 熱中症で火照った身体を冷やすためにクーラーをガンガンかけていたせいか、体調は良いようです。

 布団の上でストレッチをしながら、筋肉をほぐし身体の各部をチェックしました。
 足の小指、親指、かかとを中心に、まめができています。
 まめの部分にキズパワーパッドを貼り、足全体にProtect J1を塗り込みました。
 その後、キズパワーパッドがめくれないようにゆっくりとソックスをかぶせました。
 また、ふくらはぎを中心に、パスタイムZXクリームを塗り込みカーフスリーブをかぶせました。

 すっかり、着替えを済ませ、装備品を準備し、今日のコースを確認して行きました。
 今日も、天気は良すぎるようです。
 そして、ストリートビューで何度となく確認しましたが、本日のコース8kmから31kmまで23km程の区間は、自販機さえない道です。
 バックが重くなっても、水の確保は必須条件だよね。などと作戦を練っていると、朝食の時刻になりました。

 朝食は、美味しくいただくことができ、心配していた熱中症の後遺症もないようで安心でした。
 本日の昼食会場が遠いことなどを考慮して、昼食弁当も作っていただきました。

 朝食、準備を済ませ、7時40分頃、宿を出発しました。

 実は、今回泊まった旧南郷村(美郷町)は、百済王伝説で有名なところなんです。
 Yボスが向かっているのは、百済の禎嘉王を祭っているといわれている神門神社です。

 YボスとS氏が向かっているのは、日韓交流のシンボルとして造られた百済の館です。

 写真の校倉造は、宮内庁の協力、奈良国立文化財研究所の学術支援、さらに建設大臣の特別許可などにより、門外不出とされていた正倉院原図を元に樹齢400年から500年の木曾天然ひのきにより忠実に再建された西の正倉院です。
 いずれも、早朝でしたので中に入ることはできませんでした。残念!!

 写真は、南郷駐在所です。
 S氏が、昨日のランでヘッドランプを落としたということで、紛失物届けに行きました。

 8時12分、寄り道したのでまだ1kmしか進んでいません。
 くっきりとした影が、今日の陽射しの強さを予感させています。

 9時8分、7km地点の自販機です。
 暑くなってきました。
 影を求めて、道路を右に左に移動しながらの走行となりました。

 写メを撮り忘れてしまいましたが、10時前に10km地点に到着し、100m程自販機のあるところまでコースアウトし飲料水を確保しました。
 これにより、自販機の無い区間を21kmに2km程縮めることができました。

 あまりの暑さにS氏は、川で水浴びがしたいといいだしました。
 私は、この先21km区間自販機が無いことと昨日の午前中のトラウマがあるものですから、先に行かせていただきました。

 10時09分、11km付近です。
 道路に影がなく、てんころぼし状態です。

 10時40分、14km付近です。
 山の恵み清水は、ことごとく砂防ダム状のコンクリートや金網で覆われ、手が届かない状態でしたが、ここはラッキーでした。
 早速、タオルに染み込ませて、頭から冷たい清水を浴び身体を冷やしました。

 11時10分、17km付近です。
 木陰と清水を求めるアドベンチャーゲーム状態になりました。

 11時20分、18km付近です。

 11時35分、19km付近です。
 小さな沢から、道路一杯に清水が湧き出ていました。
 腰を下ろせる岩もあり、10分ぐらい滞在し、身体を冷やしました。

 11時59分、21km付近です。
 木城えほんの里まで14kmの表示です。
 本日の昼食場所も、ほぼ同じ位置ですので、後2時間ちょっとでしょうか。

 11時26分、24km付近です。
 遙か眼下に、涼しげな滝と川が見えるのですが・・・

 走行している道路には、影のひとかけらもありません。
 唯一の慰めは、下り坂であると言うことでしょうか。
 この時点で、10km地点で補給したスポーツドリンクとストックしていたOS1を1本空にしています。

 13時08分、29km付近の鈴音トンネルです。
 癒やしのトンネルです。ゆっくり走行して身体を冷やしました。

 13時19分、30km付近のなかおづるトンネルです。
 2本続けてのトンネルで、随分身体が楽になりました。

 13時42分、31km付近です。
 ここでも、冷たい清水で顔を洗い、タオルで受け止め、身体全体を冷却しました。
 この直後、13時47分にS氏より、熱中症によりリタイアするとの連絡を受けました。
 なお、奥様が迎えに来るとのことで少し安心しました。

 14時20分、34km付近の昼食場所、木城町郷の駅石河内『鹿遊茶屋』に到着しました。
 汗まみれになっていましたので、外のテーブルで食事をいただくことにしました。

 弁当を開いて、おかずを1品、おにぎりを一かけら口に入れて、今日は昼食を受け入ることができている自分の身体にほっとしました。
 おかずをもう一品口にして、おにぎりを割り箸で摘まむと、信じられない光景を目にします。
 おにぎりが糸を引いているのです。
 恐る恐る確かめるように、もう一度おにぎりを摘まむと間違いなく糸を引いているのです。

 作って8時間以上経った弁当。ビニル袋で密閉され、炎天下のバッグの中で高温になりゆすり揺られ、傷まないわけがないですよね。
 ほどなく到着したYボスにもそのことを告げ、弁当は廃棄しました。
 当然S氏へも連絡を取ると、奥様の車の中で安心しました。

 ということで、鹿遊茶屋で天ぷらそばとおにぎり2個とノンアルをいただきました。
 とっても美味しくいただいたのですが、そばのおつゆとノンアルと到着直前のスポーツドリンクが胃の中でちゃぽちゃぽと音を立てていました。

 ゆっくり食事をし、トイレで顔を洗ったり水分を補給し、15時20分ごろYボスと一緒にリスタートしました。

 お店を出て直ぐの道端の道標がいいですね。
 『この道を歩く』 まさにマラニックのための道標ですね!?

 15時42分、37km付近の『友情トンネル』です。
 『友情トンネル』の手前に掛かる橋は、『讃嘆橋』です。
 宮崎県児湯郡旧木城村には、武者小路実篤が建設した『新しき村』があります。
 『友情』は、武者小路実篤の小説、『讃嘆』は、以下の詩です。

 山と山とが讃嘆しあうように
 星と星とが讃嘆しあうように
 人間と人間とが讃嘆しあいたいものだ
 
   武者小路実篤

 で、分かりました。先程の道標は、当然のことながらマラニックの為の道標ではなく、
 この道より我を生かす道なしこの道を歩く
 武者小路実篤 ですね。

 16時01分、38km付近の『日日新トンネル』です。
 
 日日新
 日日決心
 日日真剣
 日日勉強
 日日生長
 
 武者小路実篤 だそうです。

 16時34分、41km付近です。
 高鍋の道路標示が現れてきました。
 ゴール高鍋駅まで、15kmほどとなりました。

 16時54分、43km付近です。
 もうそろそろ町場に入って行くので、森の恵み、清水もここが最後でしょう。
 この後の涼は、コンビニ巡りとなります。

 17時35分、47km付近です。
 町場に入ってきました。コンビニや自販機に困ることはありません。
 随分前からですが、ゴール目指してひたすら歩いています。

 17時42分、47.5km付近のコンビニです。
 Yボスはノンアル、私はアイスいただきました。

 19時25分、ゴール高鍋駅(56km)に到着しました。
 トイレで身体を拭いて、着替えて、バッグ一式一切ビニル袋に詰め込みました。
 20時06分のJRが15分ほど遅れで到着し、Yボスと一緒に乗車し帰路につきました。

 三連休を襲った猛暑のため、大変なマラニックになりましたが、森の恵みや地域の方々に助けられました。
 地元をこんなに歩いたことも初めての経験でしたし、地域の自然や文化に直接触れる良い機会でした。
 Yボスからは、マラニックの装備等について新しい知見を得ることができとても有意義でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿