萩往還完踏から、2週間経ちました。
象さんのように腫れ上がっていた脚も1週間ですっきりし、部分的な痛みや疲れが残るものの身体的には元気そのもの。
この2週間気にかかることは、記憶が薄れないうちに記録しておこうという思いでいっぱいなのですが、日々の忙しさにかまけてブログをアップできないことです。
さて、前置きはこのくらいにして、記憶を掘り起こしていこうと思います。
萩往還A250km参加のための事前準備は、萩往還250km(H27事前マップ)、萩往還A250km_走行計画、萩往還A250kmの準備のページに書きましたように、結構前々から事前に楽しく準備しました。
平成27年5月1日(金)、業務終了後すぐに帰宅し、ラフな格好に着替え、車に車中泊用マットと寝袋に変身するクッションを5つ詰め込み(ウェア類他は、前日に搭載済み)、18時半に宮崎市を出発しました。
途中、高速のSAで夕食を取り、山口県美東SAに、1時前に到着し、車中泊しました。
2日(土)、朝8時に起床し、美東SAで、コロッケ定食をいただきました。
朝食後、高速を降り、一路大会本部のある香山公園に向かいました。
長州苑瑠璃光寺店横の駐車場には、山口100萩往還マラニック大会の横断幕が堂々と掲げられていました。
いつものお決まりの行動として、まずは、長州苑にて、お土産を購入し受付に向かうことにしました。
スタート地点であり、ゴール地点でもある瑠璃光寺五重塔は、みずみずしく緑に輝く新緑に囲まれ、その威風堂々とした姿を水面(みなも)に映していました。
明後日の18時までに、必ずここに戻ってくるんだと何度も自分自身に言い聞かせ、確認しました。
境内の薬師如来に、本大会の無事を祈願し、左の大きな数珠のような縄を回しながら、「オン コロコロ センダリ マトオギ ソワカ」を唱えました。
受付は、香山公園内の松籟亭(しょうらいてい)で、10時ジャストに始まりました。
朝早くから駆けつけている選手に、時間前にスタッフの方からジャミセンによる応援歌が披露されるなど、和やかな雰囲気でした。
受付後、本大会のA部門の駐車場になっている山口図書館に移動しました。
本年度の参加賞は、萩往還特製ボトルポーチでした。
本年度のピカピカバッチとネームプレートです。
うどん券と入浴券が同梱されていました。
すべてのグッズを確認し、中継地点に預ける荷物を専用のビニル袋に詰め込み、ウエアに着替え、ゼッケンを付け、いつでもスタートできる状態にして、12時まで車中にて仮眠しました。
12時頃、図書館近くの喫茶店で昼食を摂り、ウルトラセミナーと説明会に参加するために、山口県教育会館(山口図書館の隣)に向かいました。
セミナーでは、過去にA250km部門に参加した選手から、失敗談や完踏の秘訣を楽しくも実感がこもった体験談をお伺いすることができ、改めて自分自身の闘志を高めることができました。
また、本大会、この説明会に参加しないとチェックシートがいただけません。
本大会、命の次に大切だと言われるチェックシートです。
14カ所のチェック場所と4カ所での食券がついています。
チェックシートの裏面には、大会本部の電話番号が記載され、さらに氏名と電話番号を記載する部分があります。
チェックシートを万一落とした場合、連絡ができるかもしれないので必ず氏名と携帯電話番号を記入するよう指導がありました。
また、本部の電話番号は、万一に備えてすぐに携帯電話に登録しました。
16時に説明会を終えた後、すぐに荷物を持って、長州苑瑠璃光寺店前の仮設テントまで徒歩で移動し、うどん券を使って夕食をいただきました。
うどんを食べ終わった頃、長州苑瑠璃光寺店前で、中継地点に預ける荷物の受け付けが程なく始まりましたので、すぐに預けスタートエリアに駆けつけました。
スタートは、18時より、50名ずつの数分間隔でのウェーブスタート(時差出走)となります。
ゴール時刻は、ウェーブスタートの時間差を差し引いてくれますが、関門時刻は、ウェーブスタートの時間差を考慮してくれません。
よって、走力の無い私は、少しでも早いスタートが関門に引っ掛からない方策の一つだと思って、第1ウェーブスタートを狙ったのですが、ちょっと出遅れて第2ウェーブスタートとなりました。
平成27年5月2日18時、「エイ、エイ、オー」の掛け声とともに、第1ウェーブ50名が出走し、その3分後、18時03分、いよいよ第2ウェーブがスタートとなりました。
平成27年5月4日18時までの48時間耐久レースの始まりです。
完踏すれば、人生初の200km越え、人生最長不踏距離が250kmを越えることになります。
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