2015年5月30日土曜日

萩往還A250km_完踏記_その6

 陶芸の村公園から、旧村田蒲鉾店エイドまでは、4.0kmのロードです。

 雨が上がったと思ったら、太陽がぎらぎらと照り出し、気温がぐんぐん上昇してきました。
 B140km、C70km、F35km部門の選手と次々と交差します。
 200km以上走ってきたA250km部門の選手としては、無様な姿は見せたくないと思うのですが、疲労困憊にこの暑さ、橋のなだらかな傾斜さえも一苦労の様相を呈してきました。

 旧村田蒲鉾店エイド
 走行距離 = 220.6km 
 残り距離 =  30.5km 
 予定通過時刻 = 08:30
 実通過時刻 =  10:54
 関門時間 = 15:00 
 エイドでは、スポーツ飲料をいただきました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 残り時間7時間、残り距離30kmです。時速4.5~5.0kmの歩く速さで十分完踏です。
 しかし、今からが本大会最大の難所萩往還道です。一升谷や釿ノ切峠では、時速3.0kmも怪しいものです。それにこの暑さ。そして左足首の不調。
 悪条件ばかりで、気持ちはリタイアにどんどん傾いてきます。200km越えはしていますし、みんな許してくれるだろうと悪魔の囁きも聞こえてきます。

 そんな、ネガティブな気持ちを抑えて、『とりあえず明木までいって、明木饅頭をいただいてから、先のことを考えよう。』という理由にもならない動機でなぜか体が動いてしまうような意識も朦朧としていたような不思議な状態でした。

 旧村田蒲鉾店から、明木までは、6.3kmです。160mの丘を越えて、途中一部トレイル状のコースを通ります。

 上り坂と、照りつける日差しに喘ぎながらの走行でした。とにかく暑い、頭から水を浴びたい欲求に囚われながらの走行となりました。  途中、道の駅萩往還の横を通ります。実は3年前(平成24年)のB140kmに出場したときは、ここがエイドでしたが、今年は観光客の邪魔になるとのことで立ち寄ることもできなくなりました。ここのトイレで、顔でも洗ったらすっきりするのになあと思いながら恨めしそうな顔をして通り過ぎました。
 この、道の駅萩往還の裏手に急坂というか山道があり、萩往還につながっています。
 山の中に入ると木々に日差しが遮られ、少し涼しくなります。また、山水が流れている場所がここかしこにあり、冷たい清水をキャップですくって、頭から何度もかぶり涼を得ました。

 山道を抜けると、明木川の河川敷を走って明木の町に向かいます。萩往還道の中でも数少ないほぼフラットなコース、多くの選手が走り出しましたが、暑さと疲労でへとへとになった身体は、50歩走って、50歩歩くのがやっとのような雰囲気でした。
 それでも、歩みを止めなければ、前に進みます。へとへとになりながらも明木の町に入ってきました。
 祭りで、人があふれている通りを、こことばかりに何処にあったのか予備バッテリーを使ってにこやかに、そして誇らしげに疾走します。

 明木エイド
 走行距離 = 226.9km 
 残り距離 =  24.2km 
 予定通過時刻 = 09:40
 実通過時刻 = 12:05 
 エイドにつくなり、麦茶とスポーツ飲料をいただき、カラカラになった身体を補水しました。
 また、トイレの横に散水用のホースがあったので、頭から水をかぶり、クールダウンさせていただきました。 
 さらに、これからおとずれる険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠の制覇を目指し、明木饅頭をおいしくいただきました。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。

 明木エイドから、佐々並エイドまでは、9.9kmです。
 コースのほとんどが山道で、険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠と続きます。

 トレランポールに身を預けながら、左足首を庇いながらの我慢の走行です。
 B140kmやC70kmの選手に次々と抜かされていきます。しかし、前後に選手がいないという孤独な闘いではなかったので、精神的にはあれこれ不安な事を考えずに、ただ前の選手を目指して黙々と走行することだけに専念できていたように思います。
 ただし、うだるような暑さだけには耐えきれず、山水が流れ出している箇所を見つける度に、清水をキャップですくい、頭からかぶっていました。
 実は、クールダウンのために水をかぶる度に、お尻の擦過傷は浸みるような痛さに見舞われていました。その痛さより、クールダウンをしたい気持ちを優先しなくてはならないくらい暑かったということです。

 佐々並エイド
 走行距離 = 236.8km 
 残り距離 =  14.3km 
 予定通過時刻 = 11:40 
 実通過時刻  = 14:10
 関門時間 = 16:00 
 エイドでは、スポーツドリンクとおいしく佐々並豆腐をいただきました。
 残り時間は4時間弱、残りの距離は14km強、時速3.5km以上で進む必要があります。
 しかし、ここからの約8kmは、萩往還最高所標高545mの板堂峠までの上りがほぼずっと続きます。
 元気ならば、OKですが、暑さと左足首を庇いながらの走行では、とても完踏は無理ように思えました。
 ボーとした頭で何度も何度も、完踏の可能性を試算しました。すでに疲れ切っていたので、佐々並エイドでのリタイヤもOKではと、何度も考えました。
 結局、佐々並エイドには、15分程度滞在してしました。実際に佐々並エイドを出発したのは、14:20を回っていたようですので、完踏の可能性は更に低くなっていました。
 しかし、この15分の小休止で、熱中症の初期状況になりかけていた身体がリセットされ多様に思います。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 佐々並エイドから夏木原キャンプ場エイドまでは、7.1kmです。トイレで顔をあり、すっきりさせた後、萩往還最高所、標高545mの板堂峠に向けて出発です。

 ちょっとした山道状の部分を抜けると、延々と上りロードが続きます。元気なときには走れないロードではありませんが、この暑さ、ほぼすべての選手が黙々と早歩きで走行していました。
 逆にそうなると、トレランポールを使って走行している私の方が優位に立ち、何人かの選手を抜かす場面まで現れてきました。
 いずれにしろ、照りつける太陽と路面の照り返しによる暑さに我慢の登りを延々と続ける我慢大会のようでした。
 途中再度トレイル状の道に入りますが、またもや長い上りロード。果てしなく続くように思えました。
 そのような中、2カ所の私設エイドでドリンクをいただき、大変助かりました。その一つは、例のかつては草団子を振る舞っていたという伝説の上長瀬の私設エイドです。コーラをいただいたら、コーラだけでは後こら苦しくなるからとスポーツドリンクもいただきました。

 ここまで来ると、夏木原キャンプ場エイドまでは、すぐ近くなのですが、なかなかたどり着けません。見覚えのあるカーブを何度も通過する度に、夏木原キャンプ場を期待するのですが、いずれもはずれ。そんなことを4~5回繰り返し、やっと夏木原キャンプ場エイドです。

 夏木原キャンプ場エイド
 走行距離 = 243.9km 
 残り距離 =  7.2km 
 予定通過時刻 = 13:10
 実通過時刻  = 15:40
 関門時間 = 17:00 
 佐々並エイドでは、この区間、時速3kmぐらいだろうと思っていたのですが、後で計算すると時速5.3kmで走行できていました。トレランポールのおかげでしょう。
 エイドでは、ドリンクと杏仁豆腐をいただきました。この杏仁豆腐がおいしくておかわりをさせていただきました。
 ここでも、疲れ切ってしまい、暫くいすに座って7~8分小休止しました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 夏木原キャンプ場エイドから、香山公園・瑠璃光寺ゴールまでは、7.2kmです。
 残り期間は、2時間20分ですので余裕が出てきました。
 それに萩往還最高所、標高545mの板堂峠への登りは、あと少しです。これを越えれば、後は基本的に下りです。
 しかし、脚に負担がくるのは、下り坂です。また、この萩往還最後の下りは、石畳になっていり、滑りやす、下手にこけると致命的な怪我になりかねません。


 15時44分、夏木原キャンプ場エイドを出発し、最後の上りに出発しました。
 程なく、萩往還最高所、標高545mの板堂峠を通過し、萩往還道の下り道となりました。
 暫く進み県道を横切り、階段を上ります。ほぼ下り道なのですが、県道を渡り旧萩往還道に戻るときに階段を上って行くことになります。そのような箇所がもう一カ所あります。
 萩往還道は、これまでのロードと違い、山道と石畳が連続する道です。特に石畳の上に濡れた落ち葉が積もり、いつ滑ってもおかしくない状態のところがほとんどでした。下り坂で疲労した脚は、踏ん張りがきかず、油断するとゴツゴツとした石畳の上で転び、大怪我をしそうでした。ですから、ゆっくりと足を置く位置を確かめながら、張り詰めた気持ちで進んでいきました。逆に、体力のある選手は、飛び跳ねるように下っていきましたので、ここでかなり沢山の選手に抜かされました。しかし、ゴールが目の前で消失する事のないように、安全第一と自分に言い聞かせながら、焦る気持ちを抑えて走行しました。

 暫く行くと、萩往還で有名なオカリナの音色が聞こえだし、六軒茶屋跡が現れました。ここでも、私設エイドの方にラストスパートのドリンクをご馳走になりました。
 そして、2度目の県道を横切り、階段を上ります。後1kmぐらいで、県道に出ますが、この1kmの石畳がまるでゴールを阻止しているかのように急坂で滑りやすくなっています。
 私も、慎重に下って行き、多くの選手に抜かれて行きましたが、私よりも更に足に故障を抱えている選手がおり、そのような選手を何人か抜いて行くことになりました。

 やっとの思いで、石畳を終え、天花畑(県道62号)にでてきましたが、石畳みで疲労した脚は、急峻な下り坂を走り抜ける力を有していませんでした。
 ほぼ早歩きで、一の板ダム、天花橋を過ぎ、いよいよゴール香山公園・瑠璃光寺です。
 ビクトリーロードを駆け抜けかったのですが、ボロボロになった脚をこれ以上酷使することはできませんでした。
 多くの方が、道の両側から『お帰りなさい!!』声援を送ってくださいます。その声援の中を手を振り『ありがとうございます!!』応えながら、ゆっくりと確実にゴールを目指して歩みました。

 ゴールテープの前で、記念撮影していただき、ゴールを切った後、チェックポイントシートを係員の方に検査していただき、正式のゴールが認められました。
 と同時に、完踏メダルを首に掛けていただきました。

 香山公園・瑠璃光寺
 走行距離 = 251.1km 
 残り距離 =  0.0km 
 予定通過時間 = 14:30
 実通過時刻 =  17:24
 関門時間 = 18:00 
 ゴール 

 実に、47時間20分かけて、251.1kmを完踏することができました。

 
 暑さにへばり、タイツもTシャツも脱ぎ捨て走った初日。
 嵐のような風雨に大会中止アナウンスを期待しながら走行した2日目の夜。
 身も心もぼろぼろになり、リタイヤ時を捜しながらの3日目の萩往還道。
 何とか、歩け歩けの部(F35km)から、6年かかって萩往還A250kmをやっと完踏することができました。
 スタッフ、ボランティア、私設エイド、地元の皆様、参加された選手、応援やお声掛けをいただいたすべての皆様方ありがとうございました。感謝です!!


 追伸
 宗頭文化センターから玉江駅まで、ご一緒させていただいたお二人のランナーさん、ありがとうございました。
 お蔭様で何とかゴールすることができました。
 


 ゴール後、空腹を満たすために、香山公園・瑠璃光寺前の長州苑瑠璃光寺店にいって、肉うどんをいただきました。
 店内から、次々とゴールに向かう選手が見えました。皆さん素晴らしい笑顔でゴールに向かわれていました。
 その後、これまた香山公園・瑠璃光寺前の御堀堂香山店にいって、ソフトクリームをいただきながら、暫くゴールを切る選手を応援しました。
 その後、山口育児院前の空き地に特設された荷物引き渡し所にて、旧油谷中学校跡と宗頭文化センターに預けた荷物を受け取り、山口図書館駐車場まで徒歩で戻りました。
 駐車場にて、着替えを済ませ、温泉に行くことにしました。このときすでに18時になっており、入浴券で入浴できる温泉には間に合わなくなっていました。そこで、湯田温泉に行くことにしましたが、湯田温泉の目の前で、駐車場への進入方法が分からず、ぐるりと1周しコンビニの駐車場に車を止めて、ナビをセットし始めました・・・・・。

   ふっと、気づくと、そのまま車中にて寝込んでしまい。気付くと22時前になっていました。車中にて4時間爆睡したことになります。
 22時近くになってしまいましたので、入浴は諦め、高速道路に入り、SAを梯子しながら、宮崎に向けて帰ることにしました。
 まずは、高速に入ってすぐの美東SAにて、トイレで顔等を洗って再び睡眠を取りました。その後、2~3時間おきに、SAに止まり、食っちゃ寝、食っちゃ寝をしながら、翌日5日の11時頃には宮崎の自宅にたどり着きました。

 自宅で、ゆっくりと入浴を済ませ、更に爆睡しました。


 3日間は、両脚が象さんみたいに膨れあがっていました。
 お尻の擦過傷は、2週間は悩みの種でした。
 右足首の痛みは、歩いたりジョギングしたりすることには支障はありませんが、4週間になろうとしている今でもストレッチをかけると痛みが生じます。


反省・改善点

1) スマホの調子が悪く、さらに、自分自身にゴールへの余裕がなく、沢山の記録写真を残せず、以前の大会の写真を使い回しをせざるを得なかった事を後悔しています。再度挑戦し、もっとビジュアルな記録を残したいと思います。
2) お尻の擦過傷対策としてのディクトンは、次回から持参して走る。
3) 山用のハンディーGPSは、やはり重い。腕時計型GPSを新調し、3個ぐらいの連携でログを記録したい。
4) 今回は、予想に反して非常に暑かったことが体力を消耗した。暑さ・寒さどちらにも対応できる準備が必要。
5) 私設エイドが充実しているため、行動食は軽めで良い。
6) 地図ロイドには、コースだけでなく、エイドのウェイポイント情報を設定したい。
7) トレランポールは、必須アイテムであった。
8) 膝サポートのための自作のXテープは、非常に効果があった。

 来年も是非、出場したいのですが・・・5月2日は、業務が入っているでしょうね(-_-;)
再来年、退職してからでしょうか?

 

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