2014年5月28日水曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(ゴール写真)
橘湾岸スーパーマラニック273のWebページに、先日の大会のゴール写真が掲載されましたので、早速ダウンロードさせていただきました。
30時間以上一睡もせずに173km走った後なので、顔をよく見ると疲れ果てしわがれてはいるものの、笑顔でゴールできていることに自分でもビックリ!!
2014年5月19日月曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記8)
次は、飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)から、千々石集会場チェックポイント7(163.7km)までの24.9kmです。
途中、飯盛経塚エイド19(146.0km)、有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)、唐比温泉エイド21(157.0km)の3つのエイドがあります。 標高150mの飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)を一気に駆け降り、再度、だらだらと標高150mのじゃがいも畑の丘を登って行きます。
これが、あの有名なじゃがいも畑か?!と、初めて目にする風景を楽しみなが進むことができました。
脚がしっかりしていれば、ここを走ると気持ちが良いのだろうなと思いながら、ぼろぼろになった脚をトレランポールで支えながら登って行きました。 この下り坂を終えるとじゃがいも畑ともお別れです。
坂の下に、飯盛経塚エイド19(146.0km)が在りました。
杏仁豆腐をいただきました。
このタイミングの杏仁豆腐は、なんて素晴らしいんだろう!!と思えるようなとても言葉では言い尽くせないような甘みと香りが口いっぱいに広がりました。 この時点で、萩往還の140kmを抜き、これまでの人生で一番長い距離を走ったことになりました。 だらだらと坂道を降って行きます。
それも、裏道ばかりのようです。
それでも、降りは頑張って、走ってみました。 有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)では、長崎風中華ちまきが用意されているようでしたが、このエイドではじめて食欲を感じなくなりました。
疲労がピークに達したのでしょう。また、雨があがり、曇り空もいつの間にかギラギラとした太陽をのぞかせています。
飲み物だけをいただいて、出発しようとすると、カステラ巻を持って行きなさいと渡されました。
お礼を言って、カステラ巻をポケットに押し込んで出発するのですが、この小さなカステラ巻が後々非常食として役立つのでした。
次は、唐比温泉エイド21(157.0km)までの7kmです。 まず、標高110mばかりの丘を登って(また登りです。降りたら登る。この大会の鉄則ですね!!)、林の中の急峻な坂道を降ることになるのですが、とうとう脚がストライキを起こし始めました。
脚が痛くて、前を向いて坂道を降りることができないのです。
後ろ向きで歩いたり、横向きで進んだりと、あの手この手じゃなく、あの脚この脚で、騙し騙し、降って行きました。
もう、平地を走るときでさえ、一大決心をしながら、100歩走って、50歩歩いて・・・などと、数を数えながらでないと脚が動きません。
そんな、こんなで、やっとの思いで、唐比温泉エイド21(157.0km)に到着しました。
ここでは、義務感にも似た思いで素麺を流し込みました。
ゴールまで残り、16.3kmです。
千々石集会場チェックポイント7(163.7km)までは、6.7kmです。
千々石集会場チェックポイント7まで行くと、後は関門フリーとなります。 海岸沿いの平坦な道を走行します。旧雲仙軽便鉄道の廃路跡だそうです。
この頃は、100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返すばかりでした。
それでも、遠くに見えていた千々石の浜が次第に近くなり、後2kmぐらいとなったときでしょうか、一人の選手が廃材に座り込み電話をしています。
「千々石集会場まで、もう少しなんだけれど、脚が動かない。リタイヤします。応援を請う。」とのことでした。
まだ、時刻は11時前です。当然、本部は、千々石集会場まで行けば、後は関門フリーだし、残りの距離も12kmそこそこ。足を引きずりながらでも、17時には、ゴールできそうですので、頑張るように伝えてはいたようですが、脚が動かないとのことで、リタイヤを決めたようです。
そうだよな、たとえ後1kmであろうとも、脚が動かなくなったら、どうしようもないよね。
改めて、いかに最後まで動く脚を温存した走りが大切であるかを思い知らされました。
と同時に、明日は、いや15分後は、我が身、その兆候がすでに自らの脚にも現れ始めているわけですから・・・。
100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返しながら、千々石集会場チェックポイント7に、何とか到着しました。
しかし、随分と移動速度が遅くなっています。
昨日同様、日差しも強くなり、弱った体に、熱中症も心配になりました。
千々石集会場チェックポイント7、及びエイド22
走行距離 = 163.7km、残距離 = 9.6km
予定時刻10:50、到着時刻11:35
チェックカードにパンチをし、チェックポイント7カ所のすべてのパンチが揃ったチェックカードをウェストポーチにしっかりと収納します。
ぜんざいをいただいて、ゴールを目指して出発です。
何故だか、甘いものを食べると、急に元気になり、胃の調子も良くなってきました。 小浜温泉南本町公民館ゴールまで、残り9.6kmです。
歩いてでも、ゴールできる地点までたどり着きました。 斜面に張り付いているような民家と民家の間の途轍もなく急坂の道を右へ左へと通り抜け、再び旧雲仙軽便鉄道の廃路跡のコースに出ます。
崖にへばりつき、斜面を縫うようにして旧雲仙軽便鉄道の廃路跡が連なっています。
途中にいくつも小さなトンネルが出現します。
車が来ようものなら、離合は難しいような可愛いトンネルです。
Webでは承知していましたが、何ともノスタルジックなコースです。
なるべく直射日光を避けながら、そして、脚をかばいながら、100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返していました。
この頃の心身の状態は、脚をかばいながら、ゴールまでの距離をいかに早く縮めるかということのみに集中し、周りの景色をカメラに記録するような余裕は一切ありませんでした。
そんな、こんな、していると無性に空腹感に陥りました。いわゆるガス欠です。
すべての気力が失せていくようでした。
本大会、エイドが充実しているため、デポジットできる川原いこいの家センターエイドで、不必要と思われる補給食はすべて置いてきました。
手元にあるのは、あめ玉3個ぐらい・・・
と、その時思い出されたものは、有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)でいただいた、カステラ巻です。
ポケットを探ると少し変形したカステラ巻が出てきました。
(帰宅後、装備品を整理しているとバックのポケットより、カステラ巻の包装紙、ガリガリ君の棒、漢方芍薬甘草湯の袋が出ていました。)
一口かじると、糖分に体が素早く反応、かなり走れそうな気分になります。
脳がだまされた瞬間でしょうか?!
その後、この小さなカステラ巻を3度に分けていただき、窮地をしのぐことができました。
有喜老人ホーム裏エイド20のボランティアスタッフさん、ありがとうございました。 国道57号線と合流し、残り3kmになると、見慣れた小浜の町並みが見えてきました。
バスセンター前を通過する時分には、小浜温泉の湯煙が見え始め、いよいよゴールです。
道路沿いの公園で一度顔を洗い、ゴール写真を意識して身なりを整えました。
いよいよ、人生最長の走りとなる173.3kmのゴールです。
もう、走らなくて良いのです。
30時間以上不眠での走りも、もう終わりです
小浜温泉南本町公民館ゴール
走行距離 = 173.3km、残距離 = 0km
予定時刻13:10
13:18:32に、無事完走しました。
実にスタートして、30時間と18分32秒後のゴールでした。 L173のコースは、舗装されている道を進むものの無限と思われる山と坂を上り下りするトレイル状態でした。 ゴールで宮崎出身の本大会の先輩選手でもあり、今回ボランティアスタッフに尽力された森さんに、「お疲れ様でした!!273kmエントリーの権利を得ましたね。また挑戦してくださいね。」と祝福されました・・・
ありがとうございました。
森さんをはじめ、スタッフの方々に感謝いたします。
しかし、あの時は、もう走らんと思いました。
でも不思議なもので、帰路の高速を運転しながら考えていたことは、どうすれば、プラス100kmを走ることができる体力と脚を温存できるか?
また、そのためのトレーニングは? でした。
平成27年の春は、萩往還250km
秋は、橘湾岸スーパーマラニック273kmで決まりです。
ところで、ゴール後は、小浜温泉南本町公民館で、おにぎりや冷や奴をお腹いっぱい食べ、馬鹿みたいに沢山給水したのを覚えています。
その後、デポジットしていた荷物を持って、国民宿舎望洋荘に行き、温泉に浸かりました。
脚の痛みも大変でしたが、温泉に入って分かったことは、パンツの縫い目とお尻が30時間擦れ合い、ヒリヒリすることでした。
脚の腫れは、1週間ほどで引いてきましたが、お尻の擦り傷は、2週間経った今も少しかさぶたが残っています。
次回は、このお尻対策を本気で考える必要があると思いました。
19時に、懇親会(100名を超えていました。)に出席し、ノンアルコールの私は、始めからご飯をいただき、これまた、お腹いっぱい長崎小浜のご馳走を堪能させていただきました。
宿泊を予定していたのですが、諸事情により、お腹いっぱいになったところで懇親会を中座し、宮崎に向けて出発しました。
何時ものように、サービスエリアを梯子し、仮眠と食事を繰り返しながら、翌朝10時頃には、宮崎市に着きました。
5月3日~6日までのゴールデンウィーク4日間を自分の趣味のために使わせてくれた理解ある妻に感謝です。
参加賞のTシャツです。
途中、飯盛経塚エイド19(146.0km)、有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)、唐比温泉エイド21(157.0km)の3つのエイドがあります。 標高150mの飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)を一気に駆け降り、再度、だらだらと標高150mのじゃがいも畑の丘を登って行きます。
これが、あの有名なじゃがいも畑か?!と、初めて目にする風景を楽しみなが進むことができました。
脚がしっかりしていれば、ここを走ると気持ちが良いのだろうなと思いながら、ぼろぼろになった脚をトレランポールで支えながら登って行きました。 この下り坂を終えるとじゃがいも畑ともお別れです。
坂の下に、飯盛経塚エイド19(146.0km)が在りました。
杏仁豆腐をいただきました。
このタイミングの杏仁豆腐は、なんて素晴らしいんだろう!!と思えるようなとても言葉では言い尽くせないような甘みと香りが口いっぱいに広がりました。 この時点で、萩往還の140kmを抜き、これまでの人生で一番長い距離を走ったことになりました。 だらだらと坂道を降って行きます。
それも、裏道ばかりのようです。
それでも、降りは頑張って、走ってみました。 有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)では、長崎風中華ちまきが用意されているようでしたが、このエイドではじめて食欲を感じなくなりました。
疲労がピークに達したのでしょう。また、雨があがり、曇り空もいつの間にかギラギラとした太陽をのぞかせています。
飲み物だけをいただいて、出発しようとすると、カステラ巻を持って行きなさいと渡されました。
お礼を言って、カステラ巻をポケットに押し込んで出発するのですが、この小さなカステラ巻が後々非常食として役立つのでした。
次は、唐比温泉エイド21(157.0km)までの7kmです。 まず、標高110mばかりの丘を登って(また登りです。降りたら登る。この大会の鉄則ですね!!)、林の中の急峻な坂道を降ることになるのですが、とうとう脚がストライキを起こし始めました。
脚が痛くて、前を向いて坂道を降りることができないのです。
後ろ向きで歩いたり、横向きで進んだりと、あの手この手じゃなく、あの脚この脚で、騙し騙し、降って行きました。
もう、平地を走るときでさえ、一大決心をしながら、100歩走って、50歩歩いて・・・などと、数を数えながらでないと脚が動きません。
そんな、こんなで、やっとの思いで、唐比温泉エイド21(157.0km)に到着しました。
ここでは、義務感にも似た思いで素麺を流し込みました。
ゴールまで残り、16.3kmです。
千々石集会場チェックポイント7(163.7km)までは、6.7kmです。
千々石集会場チェックポイント7まで行くと、後は関門フリーとなります。 海岸沿いの平坦な道を走行します。旧雲仙軽便鉄道の廃路跡だそうです。
この頃は、100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返すばかりでした。
それでも、遠くに見えていた千々石の浜が次第に近くなり、後2kmぐらいとなったときでしょうか、一人の選手が廃材に座り込み電話をしています。
「千々石集会場まで、もう少しなんだけれど、脚が動かない。リタイヤします。応援を請う。」とのことでした。
まだ、時刻は11時前です。当然、本部は、千々石集会場まで行けば、後は関門フリーだし、残りの距離も12kmそこそこ。足を引きずりながらでも、17時には、ゴールできそうですので、頑張るように伝えてはいたようですが、脚が動かないとのことで、リタイヤを決めたようです。
そうだよな、たとえ後1kmであろうとも、脚が動かなくなったら、どうしようもないよね。
改めて、いかに最後まで動く脚を温存した走りが大切であるかを思い知らされました。
と同時に、明日は、いや15分後は、我が身、その兆候がすでに自らの脚にも現れ始めているわけですから・・・。
100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返しながら、千々石集会場チェックポイント7に、何とか到着しました。
しかし、随分と移動速度が遅くなっています。
昨日同様、日差しも強くなり、弱った体に、熱中症も心配になりました。
千々石集会場チェックポイント7、及びエイド22
走行距離 = 163.7km、残距離 = 9.6km
予定時刻10:50、到着時刻11:35
チェックカードにパンチをし、チェックポイント7カ所のすべてのパンチが揃ったチェックカードをウェストポーチにしっかりと収納します。
ぜんざいをいただいて、ゴールを目指して出発です。
何故だか、甘いものを食べると、急に元気になり、胃の調子も良くなってきました。 小浜温泉南本町公民館ゴールまで、残り9.6kmです。
歩いてでも、ゴールできる地点までたどり着きました。 斜面に張り付いているような民家と民家の間の途轍もなく急坂の道を右へ左へと通り抜け、再び旧雲仙軽便鉄道の廃路跡のコースに出ます。
崖にへばりつき、斜面を縫うようにして旧雲仙軽便鉄道の廃路跡が連なっています。
途中にいくつも小さなトンネルが出現します。
車が来ようものなら、離合は難しいような可愛いトンネルです。
Webでは承知していましたが、何ともノスタルジックなコースです。
なるべく直射日光を避けながら、そして、脚をかばいながら、100歩走って、50歩歩いて・・・を繰り返していました。
この頃の心身の状態は、脚をかばいながら、ゴールまでの距離をいかに早く縮めるかということのみに集中し、周りの景色をカメラに記録するような余裕は一切ありませんでした。
そんな、こんな、していると無性に空腹感に陥りました。いわゆるガス欠です。
すべての気力が失せていくようでした。
本大会、エイドが充実しているため、デポジットできる川原いこいの家センターエイドで、不必要と思われる補給食はすべて置いてきました。
手元にあるのは、あめ玉3個ぐらい・・・
と、その時思い出されたものは、有喜老人ホーム裏エイド20(150.0km)でいただいた、カステラ巻です。
ポケットを探ると少し変形したカステラ巻が出てきました。
(帰宅後、装備品を整理しているとバックのポケットより、カステラ巻の包装紙、ガリガリ君の棒、漢方芍薬甘草湯の袋が出ていました。)
一口かじると、糖分に体が素早く反応、かなり走れそうな気分になります。
脳がだまされた瞬間でしょうか?!
その後、この小さなカステラ巻を3度に分けていただき、窮地をしのぐことができました。
有喜老人ホーム裏エイド20のボランティアスタッフさん、ありがとうございました。 国道57号線と合流し、残り3kmになると、見慣れた小浜の町並みが見えてきました。
バスセンター前を通過する時分には、小浜温泉の湯煙が見え始め、いよいよゴールです。
道路沿いの公園で一度顔を洗い、ゴール写真を意識して身なりを整えました。
いよいよ、人生最長の走りとなる173.3kmのゴールです。
もう、走らなくて良いのです。
30時間以上不眠での走りも、もう終わりです
小浜温泉南本町公民館ゴール
走行距離 = 173.3km、残距離 = 0km
予定時刻13:10
13:18:32に、無事完走しました。
実にスタートして、30時間と18分32秒後のゴールでした。 L173のコースは、舗装されている道を進むものの無限と思われる山と坂を上り下りするトレイル状態でした。 ゴールで宮崎出身の本大会の先輩選手でもあり、今回ボランティアスタッフに尽力された森さんに、「お疲れ様でした!!273kmエントリーの権利を得ましたね。また挑戦してくださいね。」と祝福されました・・・
ありがとうございました。
森さんをはじめ、スタッフの方々に感謝いたします。
しかし、あの時は、もう走らんと思いました。
でも不思議なもので、帰路の高速を運転しながら考えていたことは、どうすれば、プラス100kmを走ることができる体力と脚を温存できるか?
また、そのためのトレーニングは? でした。
平成27年の春は、萩往還250km
秋は、橘湾岸スーパーマラニック273kmで決まりです。
ところで、ゴール後は、小浜温泉南本町公民館で、おにぎりや冷や奴をお腹いっぱい食べ、馬鹿みたいに沢山給水したのを覚えています。
その後、デポジットしていた荷物を持って、国民宿舎望洋荘に行き、温泉に浸かりました。
脚の痛みも大変でしたが、温泉に入って分かったことは、パンツの縫い目とお尻が30時間擦れ合い、ヒリヒリすることでした。
脚の腫れは、1週間ほどで引いてきましたが、お尻の擦り傷は、2週間経った今も少しかさぶたが残っています。
次回は、このお尻対策を本気で考える必要があると思いました。
19時に、懇親会(100名を超えていました。)に出席し、ノンアルコールの私は、始めからご飯をいただき、これまた、お腹いっぱい長崎小浜のご馳走を堪能させていただきました。
宿泊を予定していたのですが、諸事情により、お腹いっぱいになったところで懇親会を中座し、宮崎に向けて出発しました。
何時ものように、サービスエリアを梯子し、仮眠と食事を繰り返しながら、翌朝10時頃には、宮崎市に着きました。
5月3日~6日までのゴールデンウィーク4日間を自分の趣味のために使わせてくれた理解ある妻に感謝です。
参加賞のTシャツです。
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記7)
次は、茂木支所チェックポイント5(116.8km)から、22.0km先の飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)です。
途中、山川河内橋エイド16(124.4km:無人エイド)と網場日見公園エイド17(130.0km)の2つのエイドがあります。
また、本コースは、70m及び130mの丘を中心に、小刻みのアップダウンを繰り返しながら、一旦海岸沿いまで降り、最後に標高150mの飯盛峠まで登るコースになります。 茂木支所チェックポイント5(116.8km)を出発したのが、3時前でしたので、まだ真夜中。
脚は、すでにぼろぼろの状態でしたが、幸か不幸か、無意識状態(ある種のランニングハイ)のまま進んでいたような気がします。
山川河内橋エイド16(124.4km:無人エイド)の記憶はありません。 空が白々とし「夜が明けだしたな。何とかリタイヤする気持ちを押さえ、朝を迎えることができたな。」などと思いながら進んでいくと、目の前に網場日見公園エイド17(130.0km)が在ったような雰囲気でした。 網場日見公園エイド17(130.0km)では、豚汁とおにぎりをいただきました。
なんだか、別世界より、この世に生き返ったような気分でした。 しかし、まだ無意識状態(ある種のランニングハイ)から目覚めていないようで、記録写真を撮ることを忘れていますし、本エイドからのスタートを真反対に進もうとし、ボランティアスタッフさんに、方角を正されてしまいました。
ありがとうございます。あのまま進んでいたら・・・と思うとぞっとします。 網場日見公園エイド17(130.0km)から、飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)までの8.8kmも、厳しいコースでした。
トレランポールを頼りに、黙々と登っていたようです。と言うより何も考えることができなかったと言うのが正解かもしれません。
ただ、妙なことを覚えています。それは、網場日見公園エイドと飯盛峠香田チェックポイント6の間の在るはずのない幻の中間地点のエイドを求めて、進んでいたことです。
坂道を登りながら、まず、中間エイドまで頑張ろう。そして、一休みして、頂上まで頑張ろう。と必死に自分自身に言い聞かせながら登っていたような気がします。 ですから、飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)を目の前にしたときは、てっきり、その中間エイドだと思いました。でも、そうではなく、飯盛峠香田チェックポイント6だと知ったときは、狐につままれたような妙な気分というか、一気に、飯盛峠香田チェックポイント6に到着しており、得した気分というか不思議な気持ちで一杯でした。
きっと、まだ無意識状態(ある種のランニングハイ)を引きずっていたのでしょう。心身ともに疲れ果てたとき、人はこの無意識状態(ある種のランニングハイ)により、心身を保護するのかな?と後になって思っています。 飯盛峠香田チェックポイント6及びエイド18
走行距離 = 138.8km、残距離 = 34.5km
予定時刻 6:40、到着時刻 6:55
フル、3回分以上走りました。
残りは、フル1回分もありません。
故障さえしなければ・・・、ゴールが見えてきた瞬間でした。 ボランティアスタッフさんに、写真を撮っていただきました。
とても100km以上走って疲れた人の顔には見えなく、結構しっかりしたというか、穏やかな?顔をしているので自分でもびっくりです。
これも無意識状態(ある種のランニングハイ)の影響?・・・
また、雨が降りだしました。暑いよりは、ましだと思いました。
すっかり明るくなったので、ここで、交通安全のために身に付けていた萩往還のピカピカバッチ4個を収納しました。
ヘッドランプは、網場日見公園エイド17(130.0km)で収納したような気がします。
そう言えば、この時、エイド近くの地面に空き缶のふたのようなものが落ちており、それを、どう見違えたのか他の選手が落とした萩往還のピカピカバッチだと信じ込み、ボランティアスタッフさんに、しきりと拾うように懇願し、ゴミを拾わせたエピソードを思い出しました。
やっぱ、尋常でなかったようですね。きっと、無意識状態(ある種のランニングハイ)だったのでしょう。
途中、山川河内橋エイド16(124.4km:無人エイド)と網場日見公園エイド17(130.0km)の2つのエイドがあります。
また、本コースは、70m及び130mの丘を中心に、小刻みのアップダウンを繰り返しながら、一旦海岸沿いまで降り、最後に標高150mの飯盛峠まで登るコースになります。 茂木支所チェックポイント5(116.8km)を出発したのが、3時前でしたので、まだ真夜中。
脚は、すでにぼろぼろの状態でしたが、幸か不幸か、無意識状態(ある種のランニングハイ)のまま進んでいたような気がします。
山川河内橋エイド16(124.4km:無人エイド)の記憶はありません。 空が白々とし「夜が明けだしたな。何とかリタイヤする気持ちを押さえ、朝を迎えることができたな。」などと思いながら進んでいくと、目の前に網場日見公園エイド17(130.0km)が在ったような雰囲気でした。 網場日見公園エイド17(130.0km)では、豚汁とおにぎりをいただきました。
なんだか、別世界より、この世に生き返ったような気分でした。 しかし、まだ無意識状態(ある種のランニングハイ)から目覚めていないようで、記録写真を撮ることを忘れていますし、本エイドからのスタートを真反対に進もうとし、ボランティアスタッフさんに、方角を正されてしまいました。
ありがとうございます。あのまま進んでいたら・・・と思うとぞっとします。 網場日見公園エイド17(130.0km)から、飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)までの8.8kmも、厳しいコースでした。
トレランポールを頼りに、黙々と登っていたようです。と言うより何も考えることができなかったと言うのが正解かもしれません。
ただ、妙なことを覚えています。それは、網場日見公園エイドと飯盛峠香田チェックポイント6の間の在るはずのない幻の中間地点のエイドを求めて、進んでいたことです。
坂道を登りながら、まず、中間エイドまで頑張ろう。そして、一休みして、頂上まで頑張ろう。と必死に自分自身に言い聞かせながら登っていたような気がします。 ですから、飯盛峠香田チェックポイント6(138.8km)を目の前にしたときは、てっきり、その中間エイドだと思いました。でも、そうではなく、飯盛峠香田チェックポイント6だと知ったときは、狐につままれたような妙な気分というか、一気に、飯盛峠香田チェックポイント6に到着しており、得した気分というか不思議な気持ちで一杯でした。
きっと、まだ無意識状態(ある種のランニングハイ)を引きずっていたのでしょう。心身ともに疲れ果てたとき、人はこの無意識状態(ある種のランニングハイ)により、心身を保護するのかな?と後になって思っています。 飯盛峠香田チェックポイント6及びエイド18
走行距離 = 138.8km、残距離 = 34.5km
予定時刻 6:40、到着時刻 6:55
フル、3回分以上走りました。
残りは、フル1回分もありません。
故障さえしなければ・・・、ゴールが見えてきた瞬間でした。 ボランティアスタッフさんに、写真を撮っていただきました。
とても100km以上走って疲れた人の顔には見えなく、結構しっかりしたというか、穏やかな?顔をしているので自分でもびっくりです。
これも無意識状態(ある種のランニングハイ)の影響?・・・
また、雨が降りだしました。暑いよりは、ましだと思いました。
すっかり明るくなったので、ここで、交通安全のために身に付けていた萩往還のピカピカバッチ4個を収納しました。
ヘッドランプは、網場日見公園エイド17(130.0km)で収納したような気がします。
そう言えば、この時、エイド近くの地面に空き缶のふたのようなものが落ちており、それを、どう見違えたのか他の選手が落とした萩往還のピカピカバッチだと信じ込み、ボランティアスタッフさんに、しきりと拾うように懇願し、ゴミを拾わせたエピソードを思い出しました。
やっぱ、尋常でなかったようですね。きっと、無意識状態(ある種のランニングハイ)だったのでしょう。
2014年5月18日日曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記6)
川原老人の家拠点エイド12(98.3km)の畳の部屋で、横になり休息をとったものの、どのように寝ても足腰の筋肉がこわばり、横になっていると余計に悪化しそうになるので、5分もせずに出発することにしました。
玄関でシューズを履こうとすると、これがまた大変。おかしな話、腰をかがめるのも、縁台に腰掛けるのも、一大決心をしながらの動作となります。やっとの思いでシューズを履きお礼を告げ、川原老人の家拠点エイド12(98.3km)を24時前に出発しました。
コースの半分は、消化したものの、まだ100kmの壁は越えていません。
とりあえず、100km超えを行い、18.5km先の茂木支所チェックポイント5(116.8km)を目指します。
途中、千々バス停エイド13(105.8km)及び宮槢海水浴場エイド14(112.2km)の2つの無人エイドがあります。
また、本コース上には、大まかに標高150m、120m、60m程度の3つの丘があり、これらを越えて行くことになります。 為石から茂木までの県道34号線は、枇杷畑が延々と続き枇杷ロードとも呼ばれているそうであるが、ほぼ暗闇をヘッドランプひとつで進むため、その風景を楽しむことはできませんでした。 実を言うと、この辺りの走りは、あまり覚えていないのです。
真っ暗闇の中、同じようなアップダウンを何度となく繰り返し、ぐるぐると同じ場所を回っているように感じました。
途中、雨が降ってきて、ライトウィンドブレーカーを羽織ったけれど、直ぐに小降りとなり、ライトウィンドブレーカーを収納したのもこの区間のような気がします。
千々バス停エイド13(105.8km)のことは、何となく覚えているのですが、宮槢海水浴場エイド14(112.2km)の記憶はありません。
良く分からないうちに、気付いたときには、茂木支所チェックポイント5(116.8km)だったように思います。
闇と睡魔と単調な走りと心身の疲れが無意識状態(ある種のランニングハイ)を起こし、一気に茂木支所チェックポイント5(116.8km)までワープさせたような変な雰囲気でした。
いずれにしろ、結果オーライでした。 茂木支所チェックポイント5及びエイド15
走行距離 = 116.8km、残距離 = 56.5km
予定時刻 3:00、到着時刻 2:50
関門 8:30
貯金がほとんどなくなりました。
脚がボロボロです。
中華粥をいただきました。トッピングが沢山あり、いろいろ入れて楽しみました。
ここで、GPSウォッチのバトンタッチです。
スタートから、ここまでのGPSログをエプソンのGPSウォッチSF-710Sで記録しました。
ここからは、エプソンのGPSウォッチSS-500Rにバトンタッチして記録しました。
玄関でシューズを履こうとすると、これがまた大変。おかしな話、腰をかがめるのも、縁台に腰掛けるのも、一大決心をしながらの動作となります。やっとの思いでシューズを履きお礼を告げ、川原老人の家拠点エイド12(98.3km)を24時前に出発しました。
コースの半分は、消化したものの、まだ100kmの壁は越えていません。
とりあえず、100km超えを行い、18.5km先の茂木支所チェックポイント5(116.8km)を目指します。
途中、千々バス停エイド13(105.8km)及び宮槢海水浴場エイド14(112.2km)の2つの無人エイドがあります。
また、本コース上には、大まかに標高150m、120m、60m程度の3つの丘があり、これらを越えて行くことになります。 為石から茂木までの県道34号線は、枇杷畑が延々と続き枇杷ロードとも呼ばれているそうであるが、ほぼ暗闇をヘッドランプひとつで進むため、その風景を楽しむことはできませんでした。 実を言うと、この辺りの走りは、あまり覚えていないのです。
真っ暗闇の中、同じようなアップダウンを何度となく繰り返し、ぐるぐると同じ場所を回っているように感じました。
途中、雨が降ってきて、ライトウィンドブレーカーを羽織ったけれど、直ぐに小降りとなり、ライトウィンドブレーカーを収納したのもこの区間のような気がします。
千々バス停エイド13(105.8km)のことは、何となく覚えているのですが、宮槢海水浴場エイド14(112.2km)の記憶はありません。
良く分からないうちに、気付いたときには、茂木支所チェックポイント5(116.8km)だったように思います。
闇と睡魔と単調な走りと心身の疲れが無意識状態(ある種のランニングハイ)を起こし、一気に茂木支所チェックポイント5(116.8km)までワープさせたような変な雰囲気でした。
いずれにしろ、結果オーライでした。 茂木支所チェックポイント5及びエイド15
走行距離 = 116.8km、残距離 = 56.5km
予定時刻 3:00、到着時刻 2:50
関門 8:30
貯金がほとんどなくなりました。
脚がボロボロです。
中華粥をいただきました。トッピングが沢山あり、いろいろ入れて楽しみました。
ここで、GPSウォッチのバトンタッチです。
スタートから、ここまでのGPSログをエプソンのGPSウォッチSF-710Sで記録しました。
ここからは、エプソンのGPSウォッチSS-500Rにバトンタッチして記録しました。
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記5)
樺島公民館エイド10(83.8km)から、川原老人の家拠点エイド12(98.3km)までは14.5kmです。
まずは、8.3km先の自転車道入口エイド11(92.1km)を目指します。
樺島公民館エイド10で、カレーをいただき、少々休養したので、次の川原老人の家拠点エイド12(98.3km)に行き、100km超えだけはしなくてはなどと気持ちを新たにしてスタートしました。
21:00をまわり、お店も閉まり、辺りは真っ暗で、潮騒の音だけが聞こえてきます。
4kmぐらい進み脇岬港を過ぎる頃になると、急峻な登り坂が現れます。
またですか、と思いながら、トレランポールを頼りにズンズンと登って行きます。
途中、男女4名程度のグループを追い越し、ある種の優越感に浸りながら登って行きます。
道路の側溝には、ふたがなく、「側溝に注意してください!!」とのスタート時の注意事項は、これのことだななどと思いながら進みました。
樹木の切れ目毎に、潮騒の音が聞こえてきます。
その音は、歩みを進める毎に、低い位置から聞こえてきます。
真っ暗で、位置を確認するような指標もなく、聞こえてくる潮騒の音を頼りに、ただ漠然と、随分と高いところまで登ってきたのだろうなと思いながら進みました。
以前、旅行でこの道を通ってサザンパーク亜熱帯植物園に行ったことを思い出していました。
サザンパークの入口への右側に降る道まで来れば、標高260mの峠を越えるこのコースも中間地点、自転車道入口エイド11も直ぐそばにあるはず。
などと、考えていると、右側に降る道を発見。
「この登りも、後半分だね。」と自分に言い聞かせ、トレランポールを頼りに先を急ぎます。
しかし、登っても登っても、また登り。あのカーブの先は降りのはずとの希望的観測はすべて打ち砕かれ、また登り。
そうこうしているうちに、亜熱帯植物園への入口看板が目の前に出現。
先ほどの右側に降る道は、亜熱帯植物園への入口ではなく、目の前の道が本物なのです。
つまり、今やっと半分。
心が折れた瞬間です。
そういえば、スタート時の注意事項で「リタイヤは、真夜中の、この辺りで続出します。」と言っていました。
また、「辺りが明るくなる朝まで持ちこたえれば、リタイヤから脱出できます。」とも言っていました。
まだ、22時頃でしょうか、朝日が見え始めるまで6時間以上ありそうです。
泣きそうになる気持ちを抑えて、ただ登るのみの時間が過ぎました。 潮騒が、かなり遠くから聞こえだし、辺りが開けて来ました。
今度は、間違いなく、多分、峠でしょう。
少し降りかけたところに、無人のエイドがありました。
コーラを少しいただいて、6.2km先の川原老人の家拠点エイド12(98.3km)を目指します。 基本的には降り坂なので、脚へのダメージを考慮しながらも、現在の自分の体力では降りでしかスピードを出せる区間はないので駆け降りることにしました。
登った分、降ります。
不思議と脚は、もってくれました。
以前、本大会のP100km部門に出場したときは、脚を傷め、眉山ロード及び雲仙の下り坂が思うように走れなく、歩くしかなかったことを思い出し、強くなったものだと我ながら感心し、調子超えて駆け降りました。
暫くすると右側に大池が見え始め、街の明かりが見え始めました。
川原老人の家拠点エイド12(98.3km)までは、もう少しです。
川原老人の家拠点エイド12
走行距離 = 98.3km、残距離 = 75km
予定時刻23:50、到着時刻23:25
関門 4:00、着替・休憩地
大根すりをたっぷり入れて、水餃子をいただきました。おいしかったです。
100kmを17時間近く走り続けている割には、胃が食べ物を受け付けなくなるような事態になっていないことは幸いでした。
フルーツをいただきながら、話をしているとどうやら天候が降ってきており、ひょっとしたら土砂降りになるかもしれないとの話になりました。
本エイドは、シューズを脱いであがらなくてはならなかったのですが、これが一苦労。
腰をかがめて、シューズを脱ごうとすると、あちらこちららの筋肉が悲鳴をあげるは、太ももとふくらはぎの痙攣を誘発しそうになるはで・・・
食事と情報収集が終わった後、デポジットしていた荷物から、栄養ドリンクを取り出して飲み干し、少しでも体の負担を減らすためにバックの中身のほとんどをデポジットに移し替えました。
着替えは、予定通り行いませんでした。
雨情報で、雨合羽について少し悩みましたが、ライトウィンドブレーカー2枚で対応することにして、雨合羽や予備のヘッドライトもすべてデポジットに納めました。
また、せっかく、シューズを脱いだので、畳の部屋で、12時まで休んで再スタートすることにしました。
21:00をまわり、お店も閉まり、辺りは真っ暗で、潮騒の音だけが聞こえてきます。
4kmぐらい進み脇岬港を過ぎる頃になると、急峻な登り坂が現れます。
またですか、と思いながら、トレランポールを頼りにズンズンと登って行きます。
途中、男女4名程度のグループを追い越し、ある種の優越感に浸りながら登って行きます。
道路の側溝には、ふたがなく、「側溝に注意してください!!」とのスタート時の注意事項は、これのことだななどと思いながら進みました。
樹木の切れ目毎に、潮騒の音が聞こえてきます。
その音は、歩みを進める毎に、低い位置から聞こえてきます。
真っ暗で、位置を確認するような指標もなく、聞こえてくる潮騒の音を頼りに、ただ漠然と、随分と高いところまで登ってきたのだろうなと思いながら進みました。
以前、旅行でこの道を通ってサザンパーク亜熱帯植物園に行ったことを思い出していました。
サザンパークの入口への右側に降る道まで来れば、標高260mの峠を越えるこのコースも中間地点、自転車道入口エイド11も直ぐそばにあるはず。
などと、考えていると、右側に降る道を発見。
「この登りも、後半分だね。」と自分に言い聞かせ、トレランポールを頼りに先を急ぎます。
しかし、登っても登っても、また登り。あのカーブの先は降りのはずとの希望的観測はすべて打ち砕かれ、また登り。
そうこうしているうちに、亜熱帯植物園への入口看板が目の前に出現。
先ほどの右側に降る道は、亜熱帯植物園への入口ではなく、目の前の道が本物なのです。
つまり、今やっと半分。
心が折れた瞬間です。
そういえば、スタート時の注意事項で「リタイヤは、真夜中の、この辺りで続出します。」と言っていました。
また、「辺りが明るくなる朝まで持ちこたえれば、リタイヤから脱出できます。」とも言っていました。
まだ、22時頃でしょうか、朝日が見え始めるまで6時間以上ありそうです。
泣きそうになる気持ちを抑えて、ただ登るのみの時間が過ぎました。 潮騒が、かなり遠くから聞こえだし、辺りが開けて来ました。
今度は、間違いなく、多分、峠でしょう。
少し降りかけたところに、無人のエイドがありました。
コーラを少しいただいて、6.2km先の川原老人の家拠点エイド12(98.3km)を目指します。 基本的には降り坂なので、脚へのダメージを考慮しながらも、現在の自分の体力では降りでしかスピードを出せる区間はないので駆け降りることにしました。
登った分、降ります。
不思議と脚は、もってくれました。
以前、本大会のP100km部門に出場したときは、脚を傷め、眉山ロード及び雲仙の下り坂が思うように走れなく、歩くしかなかったことを思い出し、強くなったものだと我ながら感心し、調子超えて駆け降りました。
暫くすると右側に大池が見え始め、街の明かりが見え始めました。
川原老人の家拠点エイド12(98.3km)までは、もう少しです。
川原老人の家拠点エイド12
走行距離 = 98.3km、残距離 = 75km
予定時刻23:50、到着時刻23:25
関門 4:00、着替・休憩地
大根すりをたっぷり入れて、水餃子をいただきました。おいしかったです。
100kmを17時間近く走り続けている割には、胃が食べ物を受け付けなくなるような事態になっていないことは幸いでした。
フルーツをいただきながら、話をしているとどうやら天候が降ってきており、ひょっとしたら土砂降りになるかもしれないとの話になりました。
本エイドは、シューズを脱いであがらなくてはならなかったのですが、これが一苦労。
腰をかがめて、シューズを脱ごうとすると、あちらこちららの筋肉が悲鳴をあげるは、太ももとふくらはぎの痙攣を誘発しそうになるはで・・・
食事と情報収集が終わった後、デポジットしていた荷物から、栄養ドリンクを取り出して飲み干し、少しでも体の負担を減らすためにバックの中身のほとんどをデポジットに移し替えました。
着替えは、予定通り行いませんでした。
雨情報で、雨合羽について少し悩みましたが、ライトウィンドブレーカー2枚で対応することにして、雨合羽や予備のヘッドライトもすべてデポジットに納めました。
また、せっかく、シューズを脱いだので、畳の部屋で、12時まで休んで再スタートすることにしました。
2014年5月17日土曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記4)
権現山山頂チェックポイント3(70.0km)から、次の樺島灯台チェックポイント4(80.7km)までは、10.7kmです。
目標到達時刻は、20:40です。 権現山の急峻な山道を、転げ落ちるように駆け降りました。
くだりをこんな風に降りると、脚を傷めそうですが、権現山エイドでいただいた漢方芍薬甘草湯が効いたのか、下手にブレーキをかけ脚に負担をかけることなく、一気に海岸までたどり着きました。 樺島灯台チェックポイント4までの距離は、残り8kmは切っていたでしょう。
しかし、野母崎の海岸から見える対岸に横たわる樺島の岬の途方もない大きさに、とてもあそこまで辿り着けそうには思えず、また、レースは、残り100km以上、半分も終わっていないのです。
無謀な大会に参加してしまったことに今更ながら気付き少々心が折れてしまいました。 それでも、歩みを止めなければ必ずゴールするはずだと自分に言い聞かせ早歩きで先を急ぎます。
樺島大橋を渡る頃には、陽が沈み始めました。
時間はかかりましたが、とても辿り着けそうに思えなかった樺島に到着です。
樺島漁港の先でボランティアスタッフさんが、樺島灯台への登り坂への入口を案内をしてくださいました。
辺りは、薄暗くなってきています。このままでは、山道の途中で真っ暗になりそうです。そこで、ここでヘッドランプを装着しました。
いよいよ、樺島灯台までの3km弱のアップダウンの山道に入ります。
陽がすっかり落ち、真っ暗になった山道を懸命に登って行きます。
昼間と違って、日差しによる暑さがないことが唯一の救いでした。
時折、先行して折り返してくる選手と出会い、軽く声をかけながら先を急ぎます。
遙か先に、灯台の光がサーチライトの様に定期的に回っている様子が観察されます。
目標は、確認できました。しかし、アップダウンを幾度となく繰り返し、角を回るたびに確認するも灯台の光は一向に近づいては来ません。
真っ暗の山の中、進むしかなく、仕方なく義務感のような思いで歩みを進めます。
無限大と思われるようなアップダウンを繰り返しながら、樺島灯台チェックポイント4に到着です。
走行距離 = 80.7km、残距離 = 92.6km
予定時刻20:40、到着時刻 20:04
嬉しい!やった!と言うような達成感より、腹減った!!と言うのが実感でした。
樺島灯台のエイドでは、フルーツとスポーツドリンクをいただいて、カレーがいただける樺島公民館エイド10を目指します。
山道の木陰から、ちらちらとした光が近づき、やがて大きくなります。往路の選手のヘッドランプです。互いの健闘を祈り、エールを交換し、すれ違います。また、辺りは真っ暗になります。照明器具がなければ、とても走れるようなところではありませし、普通走らんでしょう。
アップダウンが続く復路ですが、基本的にはくだりですので、ほぼ一気に駆け降りることができました。
樺島公民館エイド10
走行距離 = 83.8km、残距離 = 89.5km
予定時刻21:20、到着時刻20:52 二分の一地点、フルマラソン 2本分走りました。
スパイスのきいたカレーがおいしかったです。
お刺身や果物も沢山ありました。
また、他の選手の応援に駆けつけていた方から、日向夏のお裾分けもいただきました。
こんなところで、宮崎の果物に出会えるとは思いませんでした。温かな心遣いと、口いっぱいに広がる日向夏の香りとジューシーさで精気がみなぎってくるのがよく分かりました。
居心地が良く20分くらいレストしたように思います。
目標到達時刻は、20:40です。 権現山の急峻な山道を、転げ落ちるように駆け降りました。
くだりをこんな風に降りると、脚を傷めそうですが、権現山エイドでいただいた漢方芍薬甘草湯が効いたのか、下手にブレーキをかけ脚に負担をかけることなく、一気に海岸までたどり着きました。 樺島灯台チェックポイント4までの距離は、残り8kmは切っていたでしょう。
しかし、野母崎の海岸から見える対岸に横たわる樺島の岬の途方もない大きさに、とてもあそこまで辿り着けそうには思えず、また、レースは、残り100km以上、半分も終わっていないのです。
無謀な大会に参加してしまったことに今更ながら気付き少々心が折れてしまいました。 それでも、歩みを止めなければ必ずゴールするはずだと自分に言い聞かせ早歩きで先を急ぎます。
樺島大橋を渡る頃には、陽が沈み始めました。
時間はかかりましたが、とても辿り着けそうに思えなかった樺島に到着です。
樺島漁港の先でボランティアスタッフさんが、樺島灯台への登り坂への入口を案内をしてくださいました。
辺りは、薄暗くなってきています。このままでは、山道の途中で真っ暗になりそうです。そこで、ここでヘッドランプを装着しました。
いよいよ、樺島灯台までの3km弱のアップダウンの山道に入ります。
陽がすっかり落ち、真っ暗になった山道を懸命に登って行きます。
昼間と違って、日差しによる暑さがないことが唯一の救いでした。
時折、先行して折り返してくる選手と出会い、軽く声をかけながら先を急ぎます。
遙か先に、灯台の光がサーチライトの様に定期的に回っている様子が観察されます。
目標は、確認できました。しかし、アップダウンを幾度となく繰り返し、角を回るたびに確認するも灯台の光は一向に近づいては来ません。
真っ暗の山の中、進むしかなく、仕方なく義務感のような思いで歩みを進めます。
無限大と思われるようなアップダウンを繰り返しながら、樺島灯台チェックポイント4に到着です。
走行距離 = 80.7km、残距離 = 92.6km
予定時刻20:40、到着時刻 20:04
嬉しい!やった!と言うような達成感より、腹減った!!と言うのが実感でした。
樺島灯台のエイドでは、フルーツとスポーツドリンクをいただいて、カレーがいただける樺島公民館エイド10を目指します。
山道の木陰から、ちらちらとした光が近づき、やがて大きくなります。往路の選手のヘッドランプです。互いの健闘を祈り、エールを交換し、すれ違います。また、辺りは真っ暗になります。照明器具がなければ、とても走れるようなところではありませし、普通走らんでしょう。
アップダウンが続く復路ですが、基本的にはくだりですので、ほぼ一気に駆け降りることができました。
樺島公民館エイド10
走行距離 = 83.8km、残距離 = 89.5km
予定時刻21:20、到着時刻20:52 二分の一地点、フルマラソン 2本分走りました。
スパイスのきいたカレーがおいしかったです。
お刺身や果物も沢山ありました。
また、他の選手の応援に駆けつけていた方から、日向夏のお裾分けもいただきました。
こんなところで、宮崎の果物に出会えるとは思いませんでした。温かな心遣いと、口いっぱいに広がる日向夏の香りとジューシーさで精気がみなぎってくるのがよく分かりました。
居心地が良く20分くらいレストしたように思います。
2014年5月14日水曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記3)
女神大橋エイド6(45.0km)から、権現山山頂チェックポイント3(70.0km)までは、25kmです。
目標時刻は、18:50です。 まずは、7.0km先の竿の浦エイド7(52.0km)を目指します。
女神橋を降り、国道499号線に沿って野母崎半島の突端を目指して南下して行きます。 炎天下での走りは非常に体力を消耗し、気力を萎えさせました。
コンビニを見つけては、来店し、クールダウンをさせていただきました。
そして、ガリガリ君をかじりながらの走行となりました。
本大会で食べたガリガリ君は、覚えているだけで6本。
その他に、アイスモナカを2個食べましたね。
これが、マラニックの良いところですね。 コンビニ巡りをしながら、何とか竿の浦エイド7(52.0km)に到着です。
こちらも、無人エイドのはずでしたが、ボランティアスタッフさんがおられました。 次は、8.8km先の以下宿エイド8(60.8km)です。
相変わらず、太陽と戦うためにガリガリ君を携えながらの走行です。
遠くの島は、高島かな?・・・ 中の島、軍艦島(端島)も見えてきました。
軍艦島には、2年前の正月旅行で上陸させていただきました。
波が高く、クルーズ船が転覆するのではないかとハラハラドキドキの旅行だったことが思い出されました。
また、噂に聞く軍艦島に上陸し、廃墟を間近にみることができたことは大きな感動でした。 軍艦島への旅行を思い出しながら、何とか以下宿エイド8(60.8km)に到着です。
こちらも、無人エイドのはずでしたが、ボランティアスタッフさんがおられました。 以下宿エイド8の直ぐそばに、夫婦岩がありました。
次9.2km先が、いよいよ権現山山頂チェックポイント3(70.0km)となります。
順調に進み、明るいうちに到着できそうです。
軍艦島を右にみながら、4km進むと水仙の里(丘)が見えてきました。 水仙の里(丘)の後ろに、海の健康村陽の岬温泉があり、その先が野母崎港となります。 野母崎漁港の岸辺を沿って行くと、権現山展望公園の道路標示が現れました。
この狭い入口から、権現山山頂(標高198m)への2.3kmの急坂が始まります。 登っても登っても急峻な坂道を、トレランポールを頼りに、喘ぎながら登って行きます。
7合目辺りから、先行して降ってくる選手に出会い始めます。
「おつかれ!」、「ファイト!」などのかけ声に励まされ、はあはあ、息を弾ませながら登って行きます。
幸いに、海風が涼風を運び、挫けそうになる気力をそっと支えてくれました。 またしても、チェックポイントは、山頂の上に建てられた展望台の上にありました。 権現山山頂チェックポイント3
走行距離 = 70km、残距離 = 103.3km
予定時刻18:50、到着時刻 17:51
1時間の貯金ができました。
権現山山頂エイド9は、展望台の下の駐車場にありました。
というより、喘ぎながら登ってきて、やっとの思いでたどり着いたエイドで、この場所にチェックポイントがあると信じて疑わない私は、「チェックポイントはどこですか」と尋ねると、「80mぐらい先の展望台の上です。」と聞かされ、呆然としてしまいました。
しかし、チェックしなければならないので、心を鬼にして、登って行きます。この光景は、どうやら私一人ではなく、本大会初参加の選手のほとんどがそのようでした。
しかし、展望台に行かなくては、見えない風景があることも展望台に行って知ることができました。 エイドでは、ミネストローネとパンをいただきました。おいしかったです!!
困ったことは、エイドのイスに腰掛けると、立ち上がるのに苦労すると言うことです。
ふくらはぎ、太ももの痙攣の予感を騙し騙しここまで走ってきたものですから、もう、変に力をかけようものなら、一気に痙攣を誘発しそうな雰囲気です。
そんな話をボランティアスタッフさんに告げると、「足の攣りに良く効く「芍薬甘草湯」を持っていないの?」と問われ、「持ってない」というと、食後にそっとその漢方薬を渡されました。
お礼を告げ、早速服用し、トレランポールを収納し、権現山を一気に駆け降ります。
目標時刻は、18:50です。 まずは、7.0km先の竿の浦エイド7(52.0km)を目指します。
女神橋を降り、国道499号線に沿って野母崎半島の突端を目指して南下して行きます。 炎天下での走りは非常に体力を消耗し、気力を萎えさせました。
コンビニを見つけては、来店し、クールダウンをさせていただきました。
そして、ガリガリ君をかじりながらの走行となりました。
本大会で食べたガリガリ君は、覚えているだけで6本。
その他に、アイスモナカを2個食べましたね。
これが、マラニックの良いところですね。 コンビニ巡りをしながら、何とか竿の浦エイド7(52.0km)に到着です。
こちらも、無人エイドのはずでしたが、ボランティアスタッフさんがおられました。 次は、8.8km先の以下宿エイド8(60.8km)です。
相変わらず、太陽と戦うためにガリガリ君を携えながらの走行です。
遠くの島は、高島かな?・・・ 中の島、軍艦島(端島)も見えてきました。
軍艦島には、2年前の正月旅行で上陸させていただきました。
波が高く、クルーズ船が転覆するのではないかとハラハラドキドキの旅行だったことが思い出されました。
また、噂に聞く軍艦島に上陸し、廃墟を間近にみることができたことは大きな感動でした。 軍艦島への旅行を思い出しながら、何とか以下宿エイド8(60.8km)に到着です。
こちらも、無人エイドのはずでしたが、ボランティアスタッフさんがおられました。 以下宿エイド8の直ぐそばに、夫婦岩がありました。
次9.2km先が、いよいよ権現山山頂チェックポイント3(70.0km)となります。
順調に進み、明るいうちに到着できそうです。
軍艦島を右にみながら、4km進むと水仙の里(丘)が見えてきました。 水仙の里(丘)の後ろに、海の健康村陽の岬温泉があり、その先が野母崎港となります。 野母崎漁港の岸辺を沿って行くと、権現山展望公園の道路標示が現れました。
この狭い入口から、権現山山頂(標高198m)への2.3kmの急坂が始まります。 登っても登っても急峻な坂道を、トレランポールを頼りに、喘ぎながら登って行きます。
7合目辺りから、先行して降ってくる選手に出会い始めます。
「おつかれ!」、「ファイト!」などのかけ声に励まされ、はあはあ、息を弾ませながら登って行きます。
幸いに、海風が涼風を運び、挫けそうになる気力をそっと支えてくれました。 またしても、チェックポイントは、山頂の上に建てられた展望台の上にありました。 権現山山頂チェックポイント3
走行距離 = 70km、残距離 = 103.3km
予定時刻18:50、到着時刻 17:51
1時間の貯金ができました。
権現山山頂エイド9は、展望台の下の駐車場にありました。
というより、喘ぎながら登ってきて、やっとの思いでたどり着いたエイドで、この場所にチェックポイントがあると信じて疑わない私は、「チェックポイントはどこですか」と尋ねると、「80mぐらい先の展望台の上です。」と聞かされ、呆然としてしまいました。
しかし、チェックしなければならないので、心を鬼にして、登って行きます。この光景は、どうやら私一人ではなく、本大会初参加の選手のほとんどがそのようでした。
しかし、展望台に行かなくては、見えない風景があることも展望台に行って知ることができました。 エイドでは、ミネストローネとパンをいただきました。おいしかったです!!
困ったことは、エイドのイスに腰掛けると、立ち上がるのに苦労すると言うことです。
ふくらはぎ、太ももの痙攣の予感を騙し騙しここまで走ってきたものですから、もう、変に力をかけようものなら、一気に痙攣を誘発しそうな雰囲気です。
そんな話をボランティアスタッフさんに告げると、「足の攣りに良く効く「芍薬甘草湯」を持っていないの?」と問われ、「持ってない」というと、食後にそっとその漢方薬を渡されました。
お礼を告げ、早速服用し、トレランポールを収納し、権現山を一気に駆け降ります。
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記2)
あぐりの丘のチェックポイント2(25.3km)から次の権現山山頂チェックポイント3(70.0km)までは、44.7kmです。
目標到達時刻は、18:50です。 まずは、6.8km先の手熊道路公園エイド4を目指します。
標高300mのあぐりの丘から、式見漁港目指して一気に駆け降ります。
左手奥の島は、神楽島だと思いますので、式見漁港は、更にその左側に位置するものと思われます。 海岸沿いの道に出て、直ぐのトンネル、蝶ヶ崎トンネルを抜けるとエイドはもうそこです。
日差しは、厳しいが、海風が涼風を運んでくれます。 手熊道路公園エイド4は、無人エイドのはずでしたが、ありがたいことにボランティアスタッフさんが待機しておられました。
何でも、この時間帯は余裕があるが、今暫くすると、スタンダードやベテラン選手および他の部門の選手もスタートしてくるので、その時は無人エイドになるそうです。 せっかく?海岸沿いまで降りてきたのに、また登り始めます。
次の福田霊園エイド5までは、約4kmです。
標高にして100mばかり、結構な登りになります。
景色に慰められながら、トレランポールを使い早歩きでずんずんと登って行きますが、どこまで行っても登りで少々うんざりでした。
小江ヶ小浦トンネルを出ると、貯木場が見えてきます。エイドはもうそこです。 道を登り詰めたところに、福田霊園エイド5があります。
ここも無人エイドのはずですが、ありがたいことにボランティアスタッフさんがおられました。 次は、このコースのハイライトのひとつ、女神大橋エイド6までの9kmです。
登ったら、次は降りです。
女神大橋を走って渡ることも、本大会に出場しなければ無いでしょう。
ちょっとテンションが上がり、降り坂を一気に駆け降ります。 降りがあれば、次はおきまりの登りかい?!
などとぼやいていると、女神大橋への道路案内表示板が見えてきました。
道路には、コースの目印として白線の矢印がひかれています。
女神大橋まで、もうちょいですね!! 大浜トンネルを抜け、人だけしか通行できない幾つかの通路を登り降りして行きます。
コース目印の白線の矢印が無ければ、すんなりとは行きそうにありません。 出ました!!
あこがれの女神大橋まで来ました!! 女神大橋から眺めた長崎湾です。 女神大橋エイド6
走行距離 = 45km、残距離 = 128.3km
予定時刻14:40、到着時刻 13:37
全コースの四分の一走行、フル一本走りました。
長崎は山と坂が多すぎます! 疲れました! 女神大橋エイド6では、コーラと素麺をいただきました。
大根すりと柚子胡椒をきかせた素麺は最高においしかったです!! 汗をたっぷりとかいたので、トイレで顔を洗いすっきりとさせました。
耳の後ろは、汗が乾き塩の結晶でザラザラしていました。
1時間おきに、炎熱サプリをなめるようにしていましたが、正解でしたね。
目標到達時刻は、18:50です。 まずは、6.8km先の手熊道路公園エイド4を目指します。
標高300mのあぐりの丘から、式見漁港目指して一気に駆け降ります。
左手奥の島は、神楽島だと思いますので、式見漁港は、更にその左側に位置するものと思われます。 海岸沿いの道に出て、直ぐのトンネル、蝶ヶ崎トンネルを抜けるとエイドはもうそこです。
日差しは、厳しいが、海風が涼風を運んでくれます。 手熊道路公園エイド4は、無人エイドのはずでしたが、ありがたいことにボランティアスタッフさんが待機しておられました。
何でも、この時間帯は余裕があるが、今暫くすると、スタンダードやベテラン選手および他の部門の選手もスタートしてくるので、その時は無人エイドになるそうです。 せっかく?海岸沿いまで降りてきたのに、また登り始めます。
次の福田霊園エイド5までは、約4kmです。
標高にして100mばかり、結構な登りになります。
景色に慰められながら、トレランポールを使い早歩きでずんずんと登って行きますが、どこまで行っても登りで少々うんざりでした。
小江ヶ小浦トンネルを出ると、貯木場が見えてきます。エイドはもうそこです。 道を登り詰めたところに、福田霊園エイド5があります。
ここも無人エイドのはずですが、ありがたいことにボランティアスタッフさんがおられました。 次は、このコースのハイライトのひとつ、女神大橋エイド6までの9kmです。
登ったら、次は降りです。
女神大橋を走って渡ることも、本大会に出場しなければ無いでしょう。
ちょっとテンションが上がり、降り坂を一気に駆け降ります。 降りがあれば、次はおきまりの登りかい?!
などとぼやいていると、女神大橋への道路案内表示板が見えてきました。
道路には、コースの目印として白線の矢印がひかれています。
女神大橋まで、もうちょいですね!! 大浜トンネルを抜け、人だけしか通行できない幾つかの通路を登り降りして行きます。
コース目印の白線の矢印が無ければ、すんなりとは行きそうにありません。 出ました!!
あこがれの女神大橋まで来ました!! 女神大橋から眺めた長崎湾です。 女神大橋エイド6
走行距離 = 45km、残距離 = 128.3km
予定時刻14:40、到着時刻 13:37
全コースの四分の一走行、フル一本走りました。
長崎は山と坂が多すぎます! 疲れました! 女神大橋エイド6では、コーラと素麺をいただきました。
大根すりと柚子胡椒をきかせた素麺は最高においしかったです!! 汗をたっぷりとかいたので、トイレで顔を洗いすっきりとさせました。
耳の後ろは、汗が乾き塩の結晶でザラザラしていました。
1時間おきに、炎熱サプリをなめるようにしていましたが、正解でしたね。
2014年5月11日日曜日
2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173(完走記1)
平成26年5月4日・5日に、2014長崎橘湾岸スーパーマラニック春のL173部門に出場してきました。
L173部門は、スタートが長崎市の水辺の森公園、ゴールが小浜温泉南本町公民館前までの173.3kmのワンウェイのコースです。
そのため、ゴール地点にあらかじめ、車を駐車しておき、長崎市で一泊してスタートし、ゴール後も疲労困憊しているだろうから一泊して帰る計画を立てました。 5月3日の7時に、宮崎の自宅を出発し、高速で長州港まで行きました。途中、事故処理のため2カ所で渋滞したため、予定より1時間ほど遅くなりました。
長州港では、タッチの差でフェリーが出航し、さらに数台の差で、次のフェリー待ちの収容台数を超え、がっくりでしたが、連休であるため便が増便されており、1時間程度の待ちで乗船できることになりました。フェリーの中で昼食を摂り、多比良港に12時30分頃に着きました。
多比良港から、ゴール小浜温泉南本町公民館前の特設駐車場までは、およそ1時間、13時30分頃の到着となりました。
これまた、残念ながら、13時24分の、長崎駅までの直通バスをタッチの差で逃してしまいました。次は、16時24分ですので、諫早まで路線バスで行き、諫早から長崎市まではJRで行くことにしました。
諫早駅に着くなり、なんか様子がおかしいことに気付きます。なんと、JRの運行が20分程度遅れているとのこと。そんな、こんなで、長崎駅に着いたのが16時頃となりました。
駅から、ホテルまでは徒歩7~8分。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くなり、水辺の森公園をジョグで目指します。17時少し前に到着し、何とか前日受付を済ませることができました。 ホテルに戻ってからは、大会用装備品とウェアおよびデポジット用荷物をまとめ、GPSウォッチとスマホの充電をしながら、食事、入浴を済ませ、コース図をお復習いしながら早めに就寝しました。
4日の朝は、4時30分に起床し、テーピングと着替えを済ませて、5時30分にチェックアウトしました。その後、近くの牛丼屋で朝食を済ませ、水辺の森公園には、6時過ぎに到着しました。デポジット用荷物を預け、トイレを済ませ、ストレッチをしてスタートを待ちます。
ここで、今回ボランティアで参加されている森@宮崎さんに、応援をいただきました。
Facebookで知り合い、今回初めてのアイボールとなりました。
最後まで、諦めずに歩き続ければ、必ずたどり着けます!!と、ご自分が参加された時の貴重な経験と共に温かく力強い激励をいただきました。
アウェイでの郷土の知人の応援は、非常に力になりました。また、貴重なアドバイスありがとうございました。 6時40分頃、主催者からの挨拶と注意事項がありました。
最後まで、リタイヤされること無く長崎を楽しんでほしい、参加料に似合うだけエイドを活用してほしいとの温かいエールをいただきました。 いよいよ、L173部門のアーリースタート(7:00)です。
L173部門は、走力に応じて、7:00、9:30、12:00の三段階のスタートが準備されています。当初は、スタンダード9:30スタートでしたが、事務局にお願いして、生まれて初めての150km超え(最長は、萩往還の140km)、余裕をみて、7:00スタートに変えていただきました。
後ろに見える山が第1チェックポイントの稲佐山です。
まずは、あそこまで、駆け上らなくてはなりません!! スタート後暫くは、湾奥沿いの平坦な道路をジョグ程度のゆっくりとしたスピードで進んで行きます。
稲佐橋を渡り、スタートから4kmぐらいから、稲佐山への登山道(車道)の急坂に入ってきます。
ここからは、実力に応じて、走る人、歩く人、集団が別れ始めます。 稲佐山山頂への階段ロードです。みなさん、歩いています。
私は、この時点ですでに、トレランポールを使用していました。
この大会のコース、坂が多そうなので、登りは必ずトレランポールを使用し、脚を温存することをひとつの作戦にしました。
それにしても、天気が良すぎて、熱中症によるリタイアを懸念しながらの走行となりました。 稲佐山山頂第1チェックポイントです。
チェックポイントは、山頂に建てられた展望台にありました。
展望台は、2階建てのレストランの屋上に設置されており、外付けの螺旋階段を登って行くことになります。
稲佐山山頂(チェックポイント1)
走行距離 = 7km、残距離 = 166.3km、
予定時刻 8:10、到着時刻 8:05
疲れ果てて、山頂に到着したのに、さらに螺旋階段を使って2階建てのレストランの屋上階かい?!・・・鍛えられるなあ・・・と思いましたが、眺めは最高でした。
夜来ると、いわゆる長崎の百万ドルの夜景が楽しめるスポットとなるのだろうなと思いながら、チェックシートにパンチし、先を急ぐことにしました。
第2チェックポイントまでのコースは、稲佐山から北側の道を通り、一度市内の電車道まで降り、町中を走った後、再びあぐりの丘まで登る18.3kmのコースです。
比較的フラットな道路は、電車道のみで、稲佐山からの降り登山道(車道)にあぐりの丘への登り登山道(車道)、さらに住宅街を抜ける小刻みのアップダウンのある生活道路とさすが長崎、坂の街そのものでした。
特に、稲佐山から電車道までの下り坂は急坂が多く、レース初っぱなから脚を傷め途中リタイヤに繋がるのでは無かろうかという不安を感じながら延々と下り降りて行ったことを覚えています。また、直射日光を避けるため、道路を右に左に陰を求めて移り渡り走って行きました。 あぐりの丘(チェックポイント2、エイド3)
走行距離 = 25.5km、残距離 = 147.8km
予定時刻11:20、到着時刻 10:30
50分近く貯金ができました。
しかし、日差しの強さと、坂の多さに閉口し、ふくらはぎのつりと熱中症の予感に悩まされながらの走行となりました。まだまだ、昼にもなっていないのだけど、早く夜になって、この日差しから逃れたい気持ちでいっぱいでした。 エイドでは、おにぎりとお味噌汁が渡りました。
汗を一杯かいた為でしょうか、お味噌汁が塩分補給となり非常においしかったことを覚えています。
また、朝食から5時間たっていますので、お腹も空いていました。このタイミングでおにぎりはありがたかったですね。
しっかり食べることが完走への近道であると、自分に言い聞かせ、各エイドでの食事は努めて完食することも作戦のひとつとしていましたが、大会を通じタイミングの良い食事とそのメニューに感心した大会になりました。
チェックシートにパンチをした後、食事をとって、7km先の無人エイド手熊道路公園を目指します。
そのため、ゴール地点にあらかじめ、車を駐車しておき、長崎市で一泊してスタートし、ゴール後も疲労困憊しているだろうから一泊して帰る計画を立てました。 5月3日の7時に、宮崎の自宅を出発し、高速で長州港まで行きました。途中、事故処理のため2カ所で渋滞したため、予定より1時間ほど遅くなりました。
長州港では、タッチの差でフェリーが出航し、さらに数台の差で、次のフェリー待ちの収容台数を超え、がっくりでしたが、連休であるため便が増便されており、1時間程度の待ちで乗船できることになりました。フェリーの中で昼食を摂り、多比良港に12時30分頃に着きました。
多比良港から、ゴール小浜温泉南本町公民館前の特設駐車場までは、およそ1時間、13時30分頃の到着となりました。
これまた、残念ながら、13時24分の、長崎駅までの直通バスをタッチの差で逃してしまいました。次は、16時24分ですので、諫早まで路線バスで行き、諫早から長崎市まではJRで行くことにしました。
諫早駅に着くなり、なんか様子がおかしいことに気付きます。なんと、JRの運行が20分程度遅れているとのこと。そんな、こんなで、長崎駅に着いたのが16時頃となりました。
駅から、ホテルまでは徒歩7~8分。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くなり、水辺の森公園をジョグで目指します。17時少し前に到着し、何とか前日受付を済ませることができました。 ホテルに戻ってからは、大会用装備品とウェアおよびデポジット用荷物をまとめ、GPSウォッチとスマホの充電をしながら、食事、入浴を済ませ、コース図をお復習いしながら早めに就寝しました。
4日の朝は、4時30分に起床し、テーピングと着替えを済ませて、5時30分にチェックアウトしました。その後、近くの牛丼屋で朝食を済ませ、水辺の森公園には、6時過ぎに到着しました。デポジット用荷物を預け、トイレを済ませ、ストレッチをしてスタートを待ちます。
ここで、今回ボランティアで参加されている森@宮崎さんに、応援をいただきました。
Facebookで知り合い、今回初めてのアイボールとなりました。
最後まで、諦めずに歩き続ければ、必ずたどり着けます!!と、ご自分が参加された時の貴重な経験と共に温かく力強い激励をいただきました。
アウェイでの郷土の知人の応援は、非常に力になりました。また、貴重なアドバイスありがとうございました。 6時40分頃、主催者からの挨拶と注意事項がありました。
最後まで、リタイヤされること無く長崎を楽しんでほしい、参加料に似合うだけエイドを活用してほしいとの温かいエールをいただきました。 いよいよ、L173部門のアーリースタート(7:00)です。
L173部門は、走力に応じて、7:00、9:30、12:00の三段階のスタートが準備されています。当初は、スタンダード9:30スタートでしたが、事務局にお願いして、生まれて初めての150km超え(最長は、萩往還の140km)、余裕をみて、7:00スタートに変えていただきました。
後ろに見える山が第1チェックポイントの稲佐山です。
まずは、あそこまで、駆け上らなくてはなりません!! スタート後暫くは、湾奥沿いの平坦な道路をジョグ程度のゆっくりとしたスピードで進んで行きます。
稲佐橋を渡り、スタートから4kmぐらいから、稲佐山への登山道(車道)の急坂に入ってきます。
ここからは、実力に応じて、走る人、歩く人、集団が別れ始めます。 稲佐山山頂への階段ロードです。みなさん、歩いています。
私は、この時点ですでに、トレランポールを使用していました。
この大会のコース、坂が多そうなので、登りは必ずトレランポールを使用し、脚を温存することをひとつの作戦にしました。
それにしても、天気が良すぎて、熱中症によるリタイアを懸念しながらの走行となりました。 稲佐山山頂第1チェックポイントです。
チェックポイントは、山頂に建てられた展望台にありました。
展望台は、2階建てのレストランの屋上に設置されており、外付けの螺旋階段を登って行くことになります。
稲佐山山頂(チェックポイント1)
走行距離 = 7km、残距離 = 166.3km、
予定時刻 8:10、到着時刻 8:05
疲れ果てて、山頂に到着したのに、さらに螺旋階段を使って2階建てのレストランの屋上階かい?!・・・鍛えられるなあ・・・と思いましたが、眺めは最高でした。
夜来ると、いわゆる長崎の百万ドルの夜景が楽しめるスポットとなるのだろうなと思いながら、チェックシートにパンチし、先を急ぐことにしました。
第2チェックポイントまでのコースは、稲佐山から北側の道を通り、一度市内の電車道まで降り、町中を走った後、再びあぐりの丘まで登る18.3kmのコースです。
比較的フラットな道路は、電車道のみで、稲佐山からの降り登山道(車道)にあぐりの丘への登り登山道(車道)、さらに住宅街を抜ける小刻みのアップダウンのある生活道路とさすが長崎、坂の街そのものでした。
特に、稲佐山から電車道までの下り坂は急坂が多く、レース初っぱなから脚を傷め途中リタイヤに繋がるのでは無かろうかという不安を感じながら延々と下り降りて行ったことを覚えています。また、直射日光を避けるため、道路を右に左に陰を求めて移り渡り走って行きました。 あぐりの丘(チェックポイント2、エイド3)
走行距離 = 25.5km、残距離 = 147.8km
予定時刻11:20、到着時刻 10:30
50分近く貯金ができました。
しかし、日差しの強さと、坂の多さに閉口し、ふくらはぎのつりと熱中症の予感に悩まされながらの走行となりました。まだまだ、昼にもなっていないのだけど、早く夜になって、この日差しから逃れたい気持ちでいっぱいでした。 エイドでは、おにぎりとお味噌汁が渡りました。
汗を一杯かいた為でしょうか、お味噌汁が塩分補給となり非常においしかったことを覚えています。
また、朝食から5時間たっていますので、お腹も空いていました。このタイミングでおにぎりはありがたかったですね。
しっかり食べることが完走への近道であると、自分に言い聞かせ、各エイドでの食事は努めて完食することも作戦のひとつとしていましたが、大会を通じタイミングの良い食事とそのメニューに感心した大会になりました。
チェックシートにパンチをした後、食事をとって、7km先の無人エイド手熊道路公園を目指します。
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