2020年12月22日火曜日

令和2年四国歩き遍路(逆打ち)回想録 24日目

24日目 10月21日(水) 晴れ

大窪寺前公衆トイレ・東屋(5:46)-女体山(6:49)-おへんろ交流サロン(8:26)-87長尾寺(9:48)-86志度寺(11:56)-85八栗寺(13:38)-84屋島寺(15:46)-快活CLUB高松福岡町店(18:21)

歩行距離40km、歩数56700歩、累積歩行距離777km、累積歩数1108400歩



 本日は、87長尾寺、86志度寺、85八栗寺、84屋島寺の4寺を打ち、予定宿泊場所は快活CLUB高松福岡町店とする約40kmの行程です。

 4時頃に起きて、ヘッドランプの下で朝食、テント撤収、荷物のパッキングを行い出発準備をしました。

 5時46分、ヘッドランプを装着したまま大窪寺前公衆トイレ・東屋を出発しました。

 女体山への登山口は、88大窪寺の本堂脇にあります。

 6時17分、陽が差し始めてきました。

 6時49分、標高776mの女体山山頂に登頂しました。

 山頂からの眺めと、祠です。

 前山ダム方向への下りは、写真の様な状況でした。

 2日前に泊まった「お遍路ハウス一番門前通り」で一緒になった方からは、『頂上への崖は、順打ちの上りだといいけど、逆打ちの下りはお勧めできません。』と言われた意味が分かりました。

 高所恐怖症の私にとって、リュックを背負っての下りは、ちょっとデインジャラス過ぎて足がすくみました。

 一歩足を踏み出すたびに、次の足の置き場を十数秒考えながらの下山でした。

 最も危険なところはクリアしましたが、その後も険しい道程でした。

 その後は、林道をひたすら下って『道の駅ながお』に到着しました。

 8時26分、『道の駅ながお』の真向かいにある『おへんろ交流サロン』に到着しました。

 『おへんろ交流サロン』では、お菓子や飲み物のお接待をしていただきました。

 初めてのお遍路、基本テント泊、閏年だから功徳が3倍になる逆打ちで、不測の事態が起きない限り通し打ちです。今朝の女体山の下山は恐怖だったこと等を話しました。

 すると、サロンの女性の方から『功徳が3倍になるからって初めての遍路で逆打ちですか。それは、はじめから強欲ですね。』と笑われてしまいました。

 県道3号線を下り、約6km先の87長尾寺を目指します。

 道の傍らのお地蔵さまをお参りしながら下って行きました。

 9時48分、87長尾寺に到着しました。

 境内を近くの養護学校の生徒さん方が清掃をしていました。素晴らしい!

 87長尾寺の鐘は、山門に付いていました。

 鐘を突いて良いタイミングは必ず参拝前なのですが、逆打ちすると境内の後ろや横から入り山門を最後に訪れることが多くなるので、87長尾寺のように山門に鐘が付いていると打つタイミングを失せてしまい残念でした。 

 87長尾寺を打ち終えました。

 途中コンビニで食料を調達しながら、県道3号線沿いに、約7km先の86志度寺を目指します。

 86志度寺は、立派な五重塔などあるのに山門が奥まっていて、多くのお遍路さんが、入口捜しに奔走していました。

 当然私も辺りをぐりぐり回り、駐車場の勝手口のような場所から入りました。

 11時56分、86志度寺に到着しました。

 境内も樹木が生い茂っていて、迷路のような雰囲気でした。

 まぁ、逆に樹木が生い茂っていたので、あまり人目を気にせずにベンチでゆったりと昼食・休憩をとることができました。

 逆打ちらしく?、最後に山門を潜り、振り返ると86志度寺の立派な五重塔が青空に映えていました。

 また、86志度寺の隣というか山門に続く参道の横に、平賀源内のお墓がある自性院常楽寺がありました。

 ちなみに、平賀源内のお墓は、東京都と平賀源内の故郷である香川県の2カ所にあるそうです。

 86志度寺を打ち終え、海岸沿いの歩き遍路道を通って、約6.5km先の85八栗寺に向かいます。

 途中、平賀源内の旧邸前を通って行きました。

 その後、海岸沿いの道から、県道145号線の急坂を上って、85八栗寺を目指します。

 この日の県道145号線は、車両通行止めにして道路脇の樹木の伐採中で道路いっぱい木々が積み重なっていましたが、歩き遍路さん(私)のために、わざわざ作業を中断し道路の木々を片付けてくださいました。

 作業員の方々にお礼を告げ、県道145号線の急坂を上って行きます。

 13時38分、85八栗寺に到着しました。

 美しい多宝塔が向かえてくれました。

 八栗のお聖天(大聖歓喜双身天王、歓喜天)さまは夫婦二天の天尊であり、人の歓びを自らの喜びとする天尊だそうです。

 本堂の後の山は、五剣山と呼ばれています。

 もともと五つの峯がそびえていましたが、江戸時代の大地震で東の一峰が崩落して現在の姿になったそうです。

 八栗寺を打ち終え、5.4km先の84屋島寺に向かいます。

 歩き遍路道になっている参道の坂道を下って行きます。

 相引川を渡り屋島半島に移り、1km程北進すると安徳天皇社に辿り着きます。

 ここは、一の谷の戦いで源氏軍に敗れ、屋島を本拠とした平家軍総大将の平宗盛が、この安徳天皇社のあたりに安徳天皇の行宮(あんぐう、一時的な宮殿)を建てた場所だといわれています。

 ここから、瞬く間に急坂となっていく民家の生活道を84屋島寺に向かって西進して行きます。

 民家はすでに眼下になり、いのしし侵入防止柵を抜けると、激坂のトレイルとなりました。

 この84屋島寺の逆打ちの登りは、中途半端ではなかったです。

 崖に近いような登りで、脈拍上がりっぱなし、汗だらだらでした。

 激坂のトレイルを抜けると高松市内が眺望できましたが、あの海の部分も「源平屋島古戦場」だったのでしょう。

 真正面の特徴的な山は、先ほど打ち終えた85八栗寺が建立されている五剣山です。

 15時46分、84屋島寺に到着しました。

 伝説の八島の狸もいました。

 屋島寺四天門の仏像も素敵でした。

 屋島寺を打ち終え、参道を下って行きます。

 市内で、食料品等の調達やシューズを新調して、18時21分、快活CLUB高松福岡町店に到着しました。

 今夜から雨模様なので、今日はネットカフェに宿をとりました。

 平日なのでグループルームも同じ値段だということで、少し広めで、ゆったり、ぐっすりできそうです。

 明日以降の攻略をおかわり自由のジュース、ソフトクリームを片手に考えています。

 せっかく痩せたのに太りそう。

 シューズが路面をモロに感じやすくなっていたので、新調しました。

 無惨な擦り減りかたでしょ!

 

 

 令和2年四国歩き遍路(逆打ち)回想録 メニュー画面へ

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿