2020年12月21日月曜日

令和2年四国歩き遍路(逆打ち)回想録 23日目

23日目 10月20日(火) 晴れ

お遍路ハウス一番門前通り(6:38)-湊庄市記念碑公園(13:34)-88大窪寺(15:32)-大窪寺前公衆トイレ・東屋(16:00)

歩行距離41km、歩数53100歩、累積歩行距離737km、累積歩数1051700歩



 01霊山寺から88番大窪寺に向かうルートは複数ありますが、今回は10切幡寺の先まで戻り、県道2号線沿いに北上し、国道377号線沿いに88番大窪寺に向かいます。また、予定宿泊場所は大窪寺前公衆トイレ・東屋とする約41kmの行程です。

 朝5時頃起床し、出発の準備を整えました。

 6時16分、お接待の朝食をいただきました。有り難うございました。

 野菜や果物など、テント泊では不足しがちな食材を美味しくいただくことができました。

 6時38分、お遍路ハウス一番門前通りを出発しました。

 県道12号線に沿って西進して行きました。

 約21km西進し、11時過ぎに10番切幡寺の道路標示まで戻ってきました。

 この後、約2km先まで行って、県道2号線を88番大窪寺に向かって約18kmほど北上して行きます。

 遍路道ではない道を通ったものですから、地域の方々に道を間違えているのではと随分ご心配をおかけし、温かなお声掛けを沢山いただきました。ありがとうございました。合掌

 日開谷川を渡り、高速道路の高架橋を潜り、県道2号線を北上して行きます。

 この後、お店が皆無になりそうですので、途中、コンビニで食料等を調達しました。

 13時34分、以前、大月橋停留所があった湊庄市記念碑公園に到着しました。

 テント泊の候補地でもありましたが、今回は、荷物を下ろして小休止しました。

 暫く県道2号線を進み、国道377号線と交差する前に、左斜め方向の日開谷川沿いの歩き遍路道を通って、国道377号線にショットカットして接続します。

 この進行の途中、14時30分、徳島県から香川県(讃岐國、涅槃の道場)に入りました。

 国道377号線をさらに、進んで行きます。

 今日は、距離が長いのが分かっていたので、下手に歩き遍路道は試さないぞと心に決めて出発したのですが、88大窪寺の3km手前からの歩き遍路道の標識に魅せられて入ってしまいました。

 この歩き遍路道は、またもや民家の庭先を横切って小川を上って行きます。

 飛び石で小川を渡り、竹藪を通って行きます。

 雑草生い茂る道、畑脇の道を通って、国道377号線に戻ってきました。

 やっぱり歩き遍路道は、変化に富み、木陰で涼しく、小川のせせらぎが聞こえ最高でした。

 15時32分、88大窪寺に到着しました。

 多くのお遍路さんが、01霊山寺を発心寺として順打ちをするので、88大窪寺は、結願寺になります。

 結願した後の金剛杖は持ち帰っても良いのですが、88大窪寺に納めることもできます。

 88大窪寺に納められた金剛杖は、「寳杖堂(ほうじょうどう)」に保管され、毎年春分の日と8月20日に柴灯護摩供(さいとうごまく)の焚き上げが行われているそうです。

 「寳杖堂(ほうじょうどう)」の前に、「原爆の火」と記された世界の恒久平和を願う炎が灯る塔がありました。

 この火は、いまも福岡県八女市星野村の平和の塔で灯り続ける火から、全国各地に広がったうちのひとつだそうです。

 そして、この火の原点は、星野村の山本達雄さんが、広島の焦土を親族を捜して歩き、くすぶっていた火を形見として懐炉にうつして持ち帰り、戦後ずっと守り続けたというものだそうです。

 88大窪寺を打ち終え、16時00分、大窪寺前公衆トイレ・東屋に到着しました。

 今日のねぐらは、大窪寺門前の公衆トイレに併設されている東屋です。

 いつものように、テント設営、食事、洗濯をして明日の日程計画と就寝の準備をしました。

 寒くなりそうです。というか、すでに寒いです。あるだけの衣服をまとって寝ようと思っています。

 明後日の天候が良くないので、明日はネットカフェ泊を考えています。明日も40kmを超えそうです。

 

 

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