2015年12月13日日曜日

青島太平洋マラソン2015

 宮崎らしい青空の下で、第29回青島太平洋マラソン2015が開催されました。
 朝方曇っていた天候も、昼には晴天に恵まれ、後半暑さに悩まされた大会となりました。

 朝4時に起床し、テーピングと着替えを済ませて、4時50分頃、会場に向かいました。
 5時20分頃に運動公園前に着きましたが長打の車の列、駐車場は5時30分開門でしたが、すでに中央ゲートは閉鎖され、南ゲートに回されてしまいました。
 後から分かったことですが、中央ゲートは閉鎖されたのではなく、駐車所に向かう通路の状況を見て、中央ゲートと南ゲートに振り分けていたようです。
 しかし、南ゲート側の駐車場から会場までは1km以上で、ちょっと残念でした。しかし、逆にトイレは順番待ち無く使用することができました。

 6時半前、駐車場から1km程先の大会本部にゼッケン交付を受けに行き、再度、駐車場に戻り仮眠。
 8時過ぎ、再度1km程先のスタートラインへ向かいました。少々肌寒かったのですが、走れば汗が出るだろうと参加賞のTシャツ一枚で並びました。
 曇天の運動公園に時折吹く冷たい風に、少々後悔しながらの時間待ちでした。
 9時スタート。Dブロックは、スタート位置まで2分35秒かかりました。


 10km毎の区間タイムは、以下の通りです。
  0km~10km 0時間59分57秒
 10km~20km 0時間55分17秒
 20km~30km 1時間01分01秒
 30km~40km 1時間13分11秒

 20km過ぎから失速しだし、30km過ぎは歩きも出てしまいました。
 曇天の天候から、青空に変わり気温が上がったこと。風邪気味だったこと等が原因でしょうが、下関海響マラソン2015で初めてサブ4が達成でき、青太での三度目のサブ4を随分期待していたのですが残念でした。
 妻が言うには、「来年は60代だから種目別順位が上がりそうだから良かったね。」。これって慰めになっているのでしょうか。

 青島の海は、とてもきれいでした。快走したかったですね。

 ゴールし、計測タグを外していただいたら、「完走おめでとうございます!!」とのねぎらいのことばと同時にフィニッシャータオルをかけていただきました。

 フィニッシャータオルです。

 次は、「お疲れ様でした!!」っと、フィニッシャードリンクです。
 コーラもありました。嬉しいですね。

 次に完走証をいただきます。

 最後に、完走補給食をいただきました。

 完走補給食です。

 参加賞のTシャツです。

 ゼッケン提示でANAホリデイ・インリゾート宮崎の温泉が300円で入浴できるとのことで、汗を流して帰りました。

 本日のワークアウトは、青島太平洋マラソン2015、走行距離 42.195km グロスタイム 4時間24分45秒 でした。 ネットタイム 4時間22分10秒 でした。

2015年11月2日月曜日

下関海響マラソン2015 サブ4達成!!

 11月1日(日) 下関海響マラソン2015に参加してきました。何とネットタイム3時間58分49秒でサブ4達成です!!
 マラソンデビューは、6年前の下関海響マラソン2009のグロスタイム5時間55分05秒でした。青太では、2011年、2012年にサブ4を達成しましたが、下関海響マラソンは、7度目のチャレンジでようやくサブ4を達成することができました。

 栄光のフィニッシャータオルです!!

 10月31日(土)、業務と予定外の用事のため一旦参加を諦めて、20時頃ふて寝を決め込みベットに横になっていると、息子が大会参加を促しに来ました。そこで、妻と息子に『直ぐ寝ろ、0時に下関に向かって出発するぞ』号令をかけて3時間の仮眠。
 11月1日(日)大会当日の朝0時に、バタバタと準備をして、宮崎より一路下関へゴー!
 宮原SAで、早めの朝食をとって、6時には下関の実家に到着。
 テーピング、着替え、トイレを済ませて、路線バスで7時過ぎに会場へ向かいました。

 ちょっと肌寒いくらいのマラソン日和。
 本年度から、受付が完全廃止され、ナンバーカード・計測チップ及び参加賞等が10月中旬に自宅へ郵送されているため、スタート1時間前にしては、例年に比べ少々ゆったりとした集合のように思えました。
 男子更衣室に行き、羽織っていたジャージを脱ぎ、寒さ対策のためライトウインドブラーカーを手にしましたが、走ればきっと汗が出てくるだろうと思い直し、上は大会参加賞のTシャツで参加することにしました。

 実家の母に、おにぎりを2個つくってもらっていたので、スタートまでの待ち時間にエネルギー補給しました。
 さらに、Bブロックに並んだ後も、試供品としていただいていたアミノバイタルを小出しにすすっていました。
 後から考えると、この栄養補給が早朝5時の朝食によるガス欠をかなり防いでくれたように思います。
 沿道には、今年も県内各小中学校の児童生徒の応援メッセージが記載された旗がずらりと並んでいました。

 ゲストランナーに、千葉真子、猫ひろし、間寛平、波田陽区 等々ビックリでした。
 8時30分、号砲とともにスタート。
 何時ものことながら、10kmくらいまでは、自分の走るスペースを確保するのも大変な状態でした。

 下は、今回の走行状態ですが、0~5kmの混雑時と15km~20kmの含むトイレ休憩の5kmのスプリットタイム30分を除き、ほぼ27~8分で走っており、さらに35km~40kmでは27分をマークしており、我ながら久々に頑張ったなと思いました。

 今回の好成績を分析すると以下の通りです。

1 エネルギー補給がうまくいった。 
 スタート前のおにぎり2個
 スタートから10kmまでのアミノバイタル
 10kmから20kmまでのスポーツようかん
 30kmでのアミノバイタルの補給  (毎年ここで味の素さんが配布)
 各エイドでのバナナ
2 練習の成果
 10月の月間走行距離は300km
 2週間前の100kmマラソン参加
 (66kmでリタイアだが、筋繊維の破壊と再生に役だった。)
 (急峻な坂を走行したため、海響コースの坂が苦にならなかった。)
 (折れそうな心を100km大会と比較して支えた。)
 大会前の2泊3日の県外出張時も現地で35kmランニング。
 10月からジムで筋トレを再開した。
 (20kmを過ぎても身体が軽く感じられた。)
3 その他
 ペース配分がよかった。前半、はやる気持ちを極力押さえた。
 25km以降、攣りそうになる脚を速度を抑えたり、走行方法を変えて耐えた。
 GPS腕時計の表示を3行表示から2行表示にし見やすくした。
 (時刻表示は、右の腕時計にすみ分けした。)
 気象条件がこの上なく良かった。
 家族やスタッフ、沿道の観戦者に支えられた、 

 いずれにしろ、残り10kmは、記録を意識してがむしゃらに走りきった満足感がありました。

 ゴールで、メダルとフィニッシャタオルが『お疲れ様でした!!』とのねぎらいの言葉とともに渡されます。

 そして次は、『水分補給をしてください!!』と冷えたスポーツドリンクが手渡しされます。

 そして、『完走、おめでとうございます!!』と記録証が手渡されます。

 そして、次は、ヨーグルトの振る舞い。

 そして、下関ならではの、ふく鍋の振る舞いです。

 本年度の完走メダルです。

 本日のワークアウトは,下関海響マラソン2015、走行距離 42.195km グロスタイム 4時間00分22秒 でした。 ネットタイム 3時間58分49秒 でした。

2015年10月19日月曜日

第1回霧島ウルトラ旅マラソン67kmで無念のリタイア

 10月17日(土)、第1回霧島ウルトラ旅マラソン100kmの部に出場してきました。
 18日(日)に動かせない業務が舞い込み、楽しみにしていた綾・照葉樹林マラソンへの出場ができなくなったので、ネットをググっていると前日17日(土)に本大会があるではないですか。躊躇することなく即100kmの部に申込をしました。

 16日(金)、業務終了後、宮崎から鹿児島霧島市のアパホテルを目指しました。このホテル、大会会場になっている霧島市役所の目の前に立地しており大変便利でした。
 ホテルに駐車し、目の前の霧島市役所で受付を済ませた後、食事と入浴後直ぐに睡眠。17日(土)、朝2時に起床し、事前にフロントにお願いしてリサーチしていただいた近くの牛丼屋で朝食を済ませ、コンビニで飲み物と食料を調達し、3時開門の市役所前の大会駐車場に車を乗り入れました。
 大会駐車場の目の前がホテルになっているので、車を駐車した後歩いてホテルに戻り、食事後の歯磨きとテーピング・身支度・トイレを済ませて、チェックアウト。チェックアウトは、キーカードをフリーチェックアウトポスト入れるだけですので早朝3時過ぎでも気兼ねなくできました。そして、ホテルより再び歩いて目の前の大会駐車場に移動し、車中にて4時40分の集合時刻を待ちました。
 簡単な説明開会式と説明の後、ヘッドランプを装着し、5時にスタートしました。
 始めの7.5kmは、市役所を一周し、天降川の河川敷を走って再び第1エイドとなる市役所まで戻ってくる距離調整用のコースです。
 この区間は、日の出前の5時スタートで、道幅の狭い区間を走行するため、キロ7分で走行するペースランナーが先行する追い越し禁止区間でした。
 ・・・ ですが速度は、だんだんと速くなり、後半気付けばキロ6分は確実に越えていたように思います。
 市役所に戻ると、先ほどスタートしたゲートがあるものですから、みなさん両手を挙げてゴールのポーズをとって浮かれていました。

 第2エイド川原小学校(15.2km)には、6時35分頃到着しました。
 ここまでは、ほぼフラットで予定通りのタイムでした。
 また、朝日が昇り、周りの景色が楽しめるようになりました。
 しかし、ここから登りが続きますのでトレランポールを取り出しました。 

 

 第3エイド木原小学校(21.5km)には、7時25分頃到着しました。
 予定より20分早く到着しました。関門は8時10分ですので45分くらい余裕ができました。
 しかし、標高320mまで登ってきたので脚にかなりの負担がかかり、痙攣を誘発しそうな気配となってきたので、芍薬甘草湯をここで飲みました。

 第4エイド永水小学校(27.7km)には、8時12分頃到着しました。
 予定より18分程、早く着きました。
 太陽が昇ってくると、非常に暑くなってきました。暑さに体力と気力が確実に奪われていくのがよく分かりました。
 第6エイド霧島市観光案内所(36.8km)の関門は、10時20分ですが、63km部のスタートがこの場所から10時ジャストになりますので、それより前に到着したいという思いで走行していました。

 第5エイド霧島公民館(30.6km)には、8時40分頃到着しました。
 予定より12分早く到着しました。
 交通整理と案内をしてくださっているのは、大会スタッフ及び自衛隊の方々でした。
 あいさつとお礼を告げながらの走行でした。本当にありがとうございました。

 第6エイド霧島市観光案内所(36.8km)には、9時46分頃到着しました。
 予定より8分速く到着しました。また、関門10時20分より34分速く到着しました。
 何より嬉しかったのは、63km部門のスタート前に到着したことです。
 但し、この頃より暑さはどんどん厳しくなり、山水が流れている場所があると必ずと言って良いほど、水を帽子ですくい頭からかぶっていました。
 標高は、407mとなりました。

 第7エイド黒岩バス停の手前(42.2km)には、10時32分頃到着しました。
 予定より、12分速く到着しました。
 標高は560mです。急峻な登りと暑さにへとへとです。
 エイド到着寸前から、63kmの部の選手に抜かれ始めました。

 第8エイドB&G海洋センター(48.0km)には、11時31分頃到着しました。
 予定より11分早く到着しました。鶏飯をいただきました。美味しかったです。
 150m程のアップダウンを2度程繰り返し、脚はすでにズタズタ。
 暑さも中途半端でなく真夏のように感じられ、リタイアの気持ちがどんどん高まってきました。

 第9エイド三体小学(52.8km)には、12時23分頃到着しました。
 200m近い下りコースなのですが、暑さと脚のダメージのため速度が出ません。予定より7分遅れました。

 第10エイド牧園小学(57.6km)には、12時59分頃到着しました。
 本コースも140m近い下りのため、比較的速く走れると思っていましたが、予定より10分遅れました。
 第12エイド大隅横川駅(66.5km)は、第4関門(14時20分)でもありますが、今の状態では関門オーバーになりそうです。
 フラフラとしながら、頭の中では何度も何度も再計算を行い、100歩走って、50歩歩くを義務感のように繰り返し出しました。

 第11エイド霧島温泉駅(60.2km)には、13時24分頃到着しました。
 おにぎりをいただき、給水をすると5~6分は直ぐに過ぎ、6.3km先の大隅横川駅の関門14時20分には今の体力では着けそうもありません。
 すると、ボランティアのおばさまたちが、横川駅から折り返してきた選手が「結構フラットなコースだ」と言っていたよ。それに後50分くらいあるから行っておいで。美味しい食べ物もいっぱいあるよ。というのである。
 そこで、思案し、折返しで再びこの霧島温泉駅に戻ってくるので、リュックを預かっていただけないかと頼み、ウエストポーチと給水ボトルを握りしめて走ることにしました。

 リュックを外すと、身軽になり先ほどまでが嘘のように走れるのです。ゼイゼイ言いながら、大隅横川駅を目指します。復路の選手から力強い声援を受けながら疾走しました。暑さに負け何度も歩きが入りましたが、そのたび毎に気を取り直し精一杯の走りでした。
 エイド近くでスタッフさんが後500mと叫びます。関門までの時間も後5分程度。歩いても間に合いそうですが、ここまで来て1~2分の差で関門オーバーも悲しいので、走りに走って関門3分前に第12エイド大隅横川駅(66.5km)に到着しました。
 駅のベンチに倒れ込む様に座りこみ、暫く息を落ち着かせ、トイレに行き、頭から水を浴び続けました。
 この時点で、もう余力は無く、第4関門クリアで十分満足していました。給水と栄養補給をした後、残念ですが今回はリタイア宣言を下しました。  下の写真は、下見に行ったときの写真です。

 車で、霧島温泉駅に連れて行っていただき、リュックを預けたおばさま方に、リュックと第4関門をクリアできたお礼、さらに今回は残念ながらリタイアすることを告げました。あれこれと食料を手渡しながら、来年も来なさいよ。とのおばさまがたの呼びかけに、是非出場させていただきますと力強く約束をして分かれました。

 大会会場では、フィニッシャーではないのですが、出場者全員がいただけたフィニッシャーTシャツをいただきました。

 城山温泉で汗を流し、宮崎に帰りました。
 来年は、リュックなしの軽装で再チャレンジしてみようと思っています。

 参加賞のサンバイザー、バッチ、カロリーオフ・エナジーチャージです。

 本日のワークアウト 第1回霧島ウルトラ旅マラソン100kmの部 第4関門 大隅横川駅 66.7kmでリタイア 9時間16分59秒 でした。

2015年10月14日水曜日

下関海響マラソンのゼッケン事前郵送

 10月13日(火)、来月11月1日(日)に開催される下関海響マラソン2015の大会誌、ゼッケン、その他が事前に郵送されてきました。
 下関海響マラソンでは、受付の混雑を避けるために、事前に郵送するシステムを今年から採用したようです。

 ゼッケンは、web上で事前に顔写真を入れることができます。また、ゼッケンには県名と氏名が大きく記載されており、スタッフ、ボランティアさんは勿論沿道で応援してくださる方々も、これを見て名前で応援してくださいます。

 記録は、記念として持ち帰りOKのランナーチップで計測します。

 また、募金をした選手にはチャリティゼッケンとゼッケン止めが渡ります。

 参加賞のTシャツです。

 緑効青汁とアミノバイタルの試供品です。

 各種割引券とエアーサロンパスの引換券です。

 大会誌です。

2015年10月12日月曜日

第28回別府湯けむり健康マラソン・ウォーク大会

 平成27年10月11日(日)、第28回別府湯けむり健康マラソン・ウォーク大会に出場してきました。

 家族で出場し、その後ゆっくりと温泉観光でもしようと思ってエントリーしたのですが、息子が体調不良に為一人で行くことになりました。(-_-;)

 当日、11日(日)の朝、4時起きで宮崎を出発。車に乗り込み、ナビを設定しようとするも東九州自動車道に対応しておらず、ナビなしで出発。
 7時過ぎ、別府ICで降り、志高湖を目指しました。
 雲行きがどんどん悪化し、途中、土砂降りとなる。天気予報をしっかり信じて雨具の準備なし。少々途方に暮れる。
 周りの景色がどんどん山間部となり、コンビニも見当たりそうもなくなって来たので、道路脇に食堂を見つけるや否や朝食タイムをとることにしました。

 食事をしながら、店主に天気予報を尋ねると、『今日は晴れのはずでしたけどね。』との回答。外を見ると、少々小降りになってきた模様。

 朝食後、大会駐車場の東山小中学校へ向かうが、5分程度で到着しました。雨は、ほぼ収まってきたものの、雲行きは、いまだ怪しそう。

 ここから、会場までシャトルバスが運行されているが、距離的には5~600m程度なので歩いて会場に向かうことにしました。

 参加賞をゲットするため、家族3人分の受付を済ませ、8kmの出走時刻11時5分まで、時間がかなりあるので駐車場に戻りました。
 車中で着替えを済ませた後、開会式に参加したり、一人分の『スポーツドリンク引換券、おにぎり引換券、温泉無料入浴券』を使ってドリンクとおにぎりをゲットして2度目の朝食をとったり、軽く走ったりして時間をつぶしました。

 11時00分、16km部門がスタート。この頃、天候はすっかり回復し、太陽が顔を出してきました。
 11時05分、いよいよ8km部門のスタートです。

 コースは全長8kmですが、標高差が100mちょいあります。始め下って、後半登って、志高湖を一周するコースです。
 17日(土)に『第1回 霧島ウルトラ旅マラソン(100km)』を控えているので、とにかくゆっくり完走すれば良いと思っていたのですが・・・
 競技となると人に釣られてどんどんスピードが出てきます。それでも前半は、押さえに押さえたのですが、後半の登りに、息がゼイゼイ言い出すと、セイブする心のコントロールも麻痺して、最後の2kmは、全力疾走でゴボウ抜き状態でした。馬鹿ですね。(@_@)
 でも、来年還暦にもかかわらず、まだまだ、こんな体力が残っているのだなと自画自賛状態でした。!(^^)!

 ゴール後、残り二人分のドリンクとおにぎりをいただいて、まずは、温泉に行きました。

 入浴券1枚で、一カ所かと思っていたら、丸をつけて入浴券を戻され、どうやら7カ所回れるようでしたので、すべての温泉を入浴してきました。(ひょっとしたら、温泉業者さんの打ち合わせがきちんとできていなかったのかも知れません。)

 

 別府の市営温泉の入浴料は100円です。しかし、石けんやシャンプー類は全くありません。
 そこで、2件目の温泉からは、途中コンビニでボディーソープを買って入浴です。
 また、駐車場のない温泉も2カ所ありましたので、そこには宿から歩いて入浴に行きました。(両方で5kmくらいになったかな(^O^))

 温泉巡りの途中、コンビニでおかずを買って、大会でゲットしたおにぎりをいただきました。
 翌朝は、宿の温泉2カ所(屋内と露天)も堪能し、温泉三昧、正に『別府湯けむり健康マラソン・ウォーク大会』でした。
 来年は、息子が家を出る予定ですので、妻とゆっくり温泉巡りをしたいところです。

 スポーツドリンク引換券、おにぎり引換券、温泉無料入浴券です。

 引換券でいただいたドリンクとおにぎりです。

 

 参加賞のTシャツです。

 

 参加賞のタオルです。

 参加賞のボールペンです。

 参加賞のウェストポーチです。

 

 本日のワークアウト 第28回別府湯けむり健康マラソン・ウォーク大会 走行距離 8km 43分41秒 でした。

2015年8月4日火曜日

萩往還A250km_記憶集

 萩往還の大会本部より、H27年度5月の大会の『記憶集』と『写真×2枚』および『H28年度のエントリー用紙』が届きました。

 251kmを47時間20分かけてゴールした写真です。
 結構元気な姿に我ながら惚れ惚れ。

 川尻岬・沖田食堂への坂道でしょうか?場所不明です。

 H57年度の記憶集です。
 正式タイムは、47時間20分26秒(180/240位)
 本年度の時間内完踏率 47.5%でした。

 平成28年度もエントリーしたいのですが、スタートが5月2日(月)で平日。
 この日に、仕事を休むと、4月29日から5月5日まで連続7日間の休みとなりNGですね。
 残念ながら、H28年度は諦め、H29年度に晴れて退職した後のエントリーでしょうか?!

2015年7月20日月曜日

リタイア宣言『第3回霧島・えびの高原エクストリームトレイル』

 平成27年7月19日、第3回霧島・えびの高原エクストリームトレイルに参加してきました。
 泥濘状態のトレイルに安全第一を考え、今回は残念ながら第2関門35km地点でリタイア宣言しました。

 7月18日、14時に宮崎市を出発し、えびの高原の臨時駐車場には16時に着きました。

 翌日までの天気予報では台風11号一過により、梅雨明けの晴天もしくは曇り。熱中症の準備ばかり考えていましたが・・・まさかの雨。しかも、現地で再度スマホで調べてみると1日中雨模様。
 本大会、第1回目も第2回目も、熱中症に苦しめられましたので、そういった意味ではOKか!!などと考えましたが、雨具の準備は0。まあ、レインウエアなどは、汗かいて意味ないので濡れた方がこの季節クールダウンで気持ちがいいさ!!などとポジティブシンキングでした。

 傘を差して、早速ゼッケン交付を受けて車中にて仮眠。17時過ぎに前夜祭に出かけてみると、この雨のためでしょうか、食事がすでに始まっていました。
 傘を差しながら、今夜の夕食とばかりに、鶏おこわのおにぎり、コロッケ、ごぼう天、五目煮、コーラ等をお腹一杯いただき大満足。
 雨が降っていたので、お腹が満たされたら、早々に会場を後にして車中にて、テーピングをして休みました。

 3時頃に次々と車が駐車してきましたので、目覚ましで起きることなく目が覚め、着替えと、朝食を摂って、トイレに急行。4時前でしたがトイレにはすでに5~6人の列、15分ほど待って快便。
 再度車中に戻り、大会規定の1.5リットルの水の準備や大会終了後の着替えと温泉の準備を済ませてスタートラインに並びます。

 小雨の中、少々冷え込んでいましたが、それ以上にランナーの熱気でムンムンでした。
 AM5:00のカウントダウンとともに出発!!
 比較的ゆっくりとしたペースでの出発でしたが、1.5リットルの水や補給食を詰め込んだバックとウエストポーチで3kg、さらに練習不足で飛び出したウエストの脂肪が約4kg、合計7kgの荷重が、早くもボディーブローの様に襲いかかり始めました。というより、これは想定内というか、本大会は、体重を落とすための大会も兼ねていましたので、心の中では『いいぞ、いいぞ』とほくそ笑む声が聞こえてくるくらいポジティブシンキングでした。

 昨年度の反省のひとつとは、一列でしか進めない登山古道の入口でかなりの待ち行列ができるので、ここまではそれなりのスピードで行くことが望ましいと言うことである。
 昨年度は、最後尾でゆっくりと国道1号線を走っていたら、登山古道の前で随分待たされるは、登山古道内もよちよち歩きで、随分なロスタイムになりました。
 で、今年は、実力にちょっと遠慮しがちに中程に位置して走りましたが、やはり登山古道の前で待ちが入りました。来年は、さらに前に出るか?!

 小雨の中、日添林道を走行。登りは、ひたすら早歩きで我慢の走行。辺りは明るくなりましたが、太陽が顔を見せる兆候なし。よって、今年は、熱中症の心配がかなり減りました。

 6時56分、日添林道入口ウォーターステーション(12.1km)に到着。
 水分補給をして、直ぐに出発しました。ここで、何故か昨年度のタイムと変わらなくなっています。

 8時36分、栗野岳ピクニック村第一エイド(24.2km : 関門9:00)到着。昨年度は、8時20分でしたので、15分遅れです。

 栗野岳登山道入口に続く「日本一の枕木階段」です。熱中症の影響もなく、なんとかクリア。

 腹が減ってきたので、階段を登り切ったところのベンチであんパンを食べました。

 栗野岳登山道です。ここは、状態が良いところなのですが、泥濘が随所に出てき出しました。

 栗野岳とえびの高原の中間地点。泥濘の急坂です。

 『栗野岳の降りからえびの岳に至るコース、特に沢沿いの道は写メを摂る余裕もないくらい過酷でした。泥沼の水たまりを始めこそ避けて通っていましたが、一旦汚れてしまうともうどうでも良いというか、冷たくてかえって気持ちが良いというか・・・その連続でした。』というのが、昨年のレポでしたが・・・
 今年は、全行程泥沼状態で、転げずに走行するのがやっと、汚れを気にする気持ちなどあり得ませんでした。
 さらに、えびの岳の斜面も泥濘状態で、急ぐよりもバランスをとることの方が主になるような進み方で、場所によっては危険な箇所がたくさんありました。
 この時点で、リタイアは最善の方法ではと考え始めました。

 えびの高原ピクニック広場第2エイドの関門(34.3km : 12:00)に、時間ギリギリに到着しました。
 同時刻に到着した選手と続行するかどうかという話になりましたが、泥濘状態でこれからのコースを行くのは危険が大きすぎるとのことでリタイアを決めました。
 名残惜しいですが熱中症でないまともな頭で判断した結果ですので、良しとし、また来年トライしたいと思います。

 リタイアして初めて知ったのですが、ゴールに味噌汁が用意されているのです。
 そう言えば、1回目も2回目も時間ギリギリのゴールでしたので、味噌汁が渡らなかったのです。
 マラソン競技は何時もそうですが、遅くて本当にケアーが必要な人には恩恵が渡らないのです様ね。
 来年は、完走して味噌汁を頂きたいものだと思いました。

 駐車場で着替えて、白鳥温泉霜湯に向かいました。
 ここは、第3関門エイドステーションになっています。リタイアしなければ15時までに、ここに到着できたのではという思いに駆られながら、競技を続行している選手を横目で見ながら食堂で昼食を摂りました。
 暫くすると、太陽が顔を見せ始めました。非常に蒸し暑くなりました。頑張っている選手を尻目に温泉券を利用して温泉に浸かりました。
 日の明るいうちに温泉に入っているのが少し、恥ずかしい気持ちにもなりましたが、安全第一と自分に言い聞かせながらたっぷり1時間余り温泉に浸かってえびのを後にしました。

 参加賞のTシャツです。今年はブルーでした。

 本日のワークアウト 霧島・えびの高原エクストリームトレイル2015 走行距離 35km 7時間 途中リタイア でした。

2015年5月30日土曜日

萩往還A250km_完踏記_その6

 陶芸の村公園から、旧村田蒲鉾店エイドまでは、4.0kmのロードです。

 雨が上がったと思ったら、太陽がぎらぎらと照り出し、気温がぐんぐん上昇してきました。
 B140km、C70km、F35km部門の選手と次々と交差します。
 200km以上走ってきたA250km部門の選手としては、無様な姿は見せたくないと思うのですが、疲労困憊にこの暑さ、橋のなだらかな傾斜さえも一苦労の様相を呈してきました。

 旧村田蒲鉾店エイド
 走行距離 = 220.6km 
 残り距離 =  30.5km 
 予定通過時刻 = 08:30
 実通過時刻 =  10:54
 関門時間 = 15:00 
 エイドでは、スポーツ飲料をいただきました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 残り時間7時間、残り距離30kmです。時速4.5~5.0kmの歩く速さで十分完踏です。
 しかし、今からが本大会最大の難所萩往還道です。一升谷や釿ノ切峠では、時速3.0kmも怪しいものです。それにこの暑さ。そして左足首の不調。
 悪条件ばかりで、気持ちはリタイアにどんどん傾いてきます。200km越えはしていますし、みんな許してくれるだろうと悪魔の囁きも聞こえてきます。

 そんな、ネガティブな気持ちを抑えて、『とりあえず明木までいって、明木饅頭をいただいてから、先のことを考えよう。』という理由にもならない動機でなぜか体が動いてしまうような意識も朦朧としていたような不思議な状態でした。

 旧村田蒲鉾店から、明木までは、6.3kmです。160mの丘を越えて、途中一部トレイル状のコースを通ります。

 上り坂と、照りつける日差しに喘ぎながらの走行でした。とにかく暑い、頭から水を浴びたい欲求に囚われながらの走行となりました。  途中、道の駅萩往還の横を通ります。実は3年前(平成24年)のB140kmに出場したときは、ここがエイドでしたが、今年は観光客の邪魔になるとのことで立ち寄ることもできなくなりました。ここのトイレで、顔でも洗ったらすっきりするのになあと思いながら恨めしそうな顔をして通り過ぎました。
 この、道の駅萩往還の裏手に急坂というか山道があり、萩往還につながっています。
 山の中に入ると木々に日差しが遮られ、少し涼しくなります。また、山水が流れている場所がここかしこにあり、冷たい清水をキャップですくって、頭から何度もかぶり涼を得ました。

 山道を抜けると、明木川の河川敷を走って明木の町に向かいます。萩往還道の中でも数少ないほぼフラットなコース、多くの選手が走り出しましたが、暑さと疲労でへとへとになった身体は、50歩走って、50歩歩くのがやっとのような雰囲気でした。
 それでも、歩みを止めなければ、前に進みます。へとへとになりながらも明木の町に入ってきました。
 祭りで、人があふれている通りを、こことばかりに何処にあったのか予備バッテリーを使ってにこやかに、そして誇らしげに疾走します。

 明木エイド
 走行距離 = 226.9km 
 残り距離 =  24.2km 
 予定通過時刻 = 09:40
 実通過時刻 = 12:05 
 エイドにつくなり、麦茶とスポーツ飲料をいただき、カラカラになった身体を補水しました。
 また、トイレの横に散水用のホースがあったので、頭から水をかぶり、クールダウンさせていただきました。 
 さらに、これからおとずれる険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠の制覇を目指し、明木饅頭をおいしくいただきました。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。

 明木エイドから、佐々並エイドまでは、9.9kmです。
 コースのほとんどが山道で、険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠と続きます。

 トレランポールに身を預けながら、左足首を庇いながらの我慢の走行です。
 B140kmやC70kmの選手に次々と抜かされていきます。しかし、前後に選手がいないという孤独な闘いではなかったので、精神的にはあれこれ不安な事を考えずに、ただ前の選手を目指して黙々と走行することだけに専念できていたように思います。
 ただし、うだるような暑さだけには耐えきれず、山水が流れ出している箇所を見つける度に、清水をキャップですくい、頭からかぶっていました。
 実は、クールダウンのために水をかぶる度に、お尻の擦過傷は浸みるような痛さに見舞われていました。その痛さより、クールダウンをしたい気持ちを優先しなくてはならないくらい暑かったということです。

 佐々並エイド
 走行距離 = 236.8km 
 残り距離 =  14.3km 
 予定通過時刻 = 11:40 
 実通過時刻  = 14:10
 関門時間 = 16:00 
 エイドでは、スポーツドリンクとおいしく佐々並豆腐をいただきました。
 残り時間は4時間弱、残りの距離は14km強、時速3.5km以上で進む必要があります。
 しかし、ここからの約8kmは、萩往還最高所標高545mの板堂峠までの上りがほぼずっと続きます。
 元気ならば、OKですが、暑さと左足首を庇いながらの走行では、とても完踏は無理ように思えました。
 ボーとした頭で何度も何度も、完踏の可能性を試算しました。すでに疲れ切っていたので、佐々並エイドでのリタイヤもOKではと、何度も考えました。
 結局、佐々並エイドには、15分程度滞在してしました。実際に佐々並エイドを出発したのは、14:20を回っていたようですので、完踏の可能性は更に低くなっていました。
 しかし、この15分の小休止で、熱中症の初期状況になりかけていた身体がリセットされ多様に思います。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 佐々並エイドから夏木原キャンプ場エイドまでは、7.1kmです。トイレで顔をあり、すっきりさせた後、萩往還最高所、標高545mの板堂峠に向けて出発です。

 ちょっとした山道状の部分を抜けると、延々と上りロードが続きます。元気なときには走れないロードではありませんが、この暑さ、ほぼすべての選手が黙々と早歩きで走行していました。
 逆にそうなると、トレランポールを使って走行している私の方が優位に立ち、何人かの選手を抜かす場面まで現れてきました。
 いずれにしろ、照りつける太陽と路面の照り返しによる暑さに我慢の登りを延々と続ける我慢大会のようでした。
 途中再度トレイル状の道に入りますが、またもや長い上りロード。果てしなく続くように思えました。
 そのような中、2カ所の私設エイドでドリンクをいただき、大変助かりました。その一つは、例のかつては草団子を振る舞っていたという伝説の上長瀬の私設エイドです。コーラをいただいたら、コーラだけでは後こら苦しくなるからとスポーツドリンクもいただきました。

 ここまで来ると、夏木原キャンプ場エイドまでは、すぐ近くなのですが、なかなかたどり着けません。見覚えのあるカーブを何度も通過する度に、夏木原キャンプ場を期待するのですが、いずれもはずれ。そんなことを4~5回繰り返し、やっと夏木原キャンプ場エイドです。

 夏木原キャンプ場エイド
 走行距離 = 243.9km 
 残り距離 =  7.2km 
 予定通過時刻 = 13:10
 実通過時刻  = 15:40
 関門時間 = 17:00 
 佐々並エイドでは、この区間、時速3kmぐらいだろうと思っていたのですが、後で計算すると時速5.3kmで走行できていました。トレランポールのおかげでしょう。
 エイドでは、ドリンクと杏仁豆腐をいただきました。この杏仁豆腐がおいしくておかわりをさせていただきました。
 ここでも、疲れ切ってしまい、暫くいすに座って7~8分小休止しました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 夏木原キャンプ場エイドから、香山公園・瑠璃光寺ゴールまでは、7.2kmです。
 残り期間は、2時間20分ですので余裕が出てきました。
 それに萩往還最高所、標高545mの板堂峠への登りは、あと少しです。これを越えれば、後は基本的に下りです。
 しかし、脚に負担がくるのは、下り坂です。また、この萩往還最後の下りは、石畳になっていり、滑りやす、下手にこけると致命的な怪我になりかねません。


 15時44分、夏木原キャンプ場エイドを出発し、最後の上りに出発しました。
 程なく、萩往還最高所、標高545mの板堂峠を通過し、萩往還道の下り道となりました。
 暫く進み県道を横切り、階段を上ります。ほぼ下り道なのですが、県道を渡り旧萩往還道に戻るときに階段を上って行くことになります。そのような箇所がもう一カ所あります。
 萩往還道は、これまでのロードと違い、山道と石畳が連続する道です。特に石畳の上に濡れた落ち葉が積もり、いつ滑ってもおかしくない状態のところがほとんどでした。下り坂で疲労した脚は、踏ん張りがきかず、油断するとゴツゴツとした石畳の上で転び、大怪我をしそうでした。ですから、ゆっくりと足を置く位置を確かめながら、張り詰めた気持ちで進んでいきました。逆に、体力のある選手は、飛び跳ねるように下っていきましたので、ここでかなり沢山の選手に抜かされました。しかし、ゴールが目の前で消失する事のないように、安全第一と自分に言い聞かせながら、焦る気持ちを抑えて走行しました。

 暫く行くと、萩往還で有名なオカリナの音色が聞こえだし、六軒茶屋跡が現れました。ここでも、私設エイドの方にラストスパートのドリンクをご馳走になりました。
 そして、2度目の県道を横切り、階段を上ります。後1kmぐらいで、県道に出ますが、この1kmの石畳がまるでゴールを阻止しているかのように急坂で滑りやすくなっています。
 私も、慎重に下って行き、多くの選手に抜かれて行きましたが、私よりも更に足に故障を抱えている選手がおり、そのような選手を何人か抜いて行くことになりました。

 やっとの思いで、石畳を終え、天花畑(県道62号)にでてきましたが、石畳みで疲労した脚は、急峻な下り坂を走り抜ける力を有していませんでした。
 ほぼ早歩きで、一の板ダム、天花橋を過ぎ、いよいよゴール香山公園・瑠璃光寺です。
 ビクトリーロードを駆け抜けかったのですが、ボロボロになった脚をこれ以上酷使することはできませんでした。
 多くの方が、道の両側から『お帰りなさい!!』声援を送ってくださいます。その声援の中を手を振り『ありがとうございます!!』応えながら、ゆっくりと確実にゴールを目指して歩みました。

 ゴールテープの前で、記念撮影していただき、ゴールを切った後、チェックポイントシートを係員の方に検査していただき、正式のゴールが認められました。
 と同時に、完踏メダルを首に掛けていただきました。

 香山公園・瑠璃光寺
 走行距離 = 251.1km 
 残り距離 =  0.0km 
 予定通過時間 = 14:30
 実通過時刻 =  17:24
 関門時間 = 18:00 
 ゴール 

 実に、47時間20分かけて、251.1kmを完踏することができました。

 
 暑さにへばり、タイツもTシャツも脱ぎ捨て走った初日。
 嵐のような風雨に大会中止アナウンスを期待しながら走行した2日目の夜。
 身も心もぼろぼろになり、リタイヤ時を捜しながらの3日目の萩往還道。
 何とか、歩け歩けの部(F35km)から、6年かかって萩往還A250kmをやっと完踏することができました。
 スタッフ、ボランティア、私設エイド、地元の皆様、参加された選手、応援やお声掛けをいただいたすべての皆様方ありがとうございました。感謝です!!


 追伸
 宗頭文化センターから玉江駅まで、ご一緒させていただいたお二人のランナーさん、ありがとうございました。
 お蔭様で何とかゴールすることができました。
 


 ゴール後、空腹を満たすために、香山公園・瑠璃光寺前の長州苑瑠璃光寺店にいって、肉うどんをいただきました。
 店内から、次々とゴールに向かう選手が見えました。皆さん素晴らしい笑顔でゴールに向かわれていました。
 その後、これまた香山公園・瑠璃光寺前の御堀堂香山店にいって、ソフトクリームをいただきながら、暫くゴールを切る選手を応援しました。
 その後、山口育児院前の空き地に特設された荷物引き渡し所にて、旧油谷中学校跡と宗頭文化センターに預けた荷物を受け取り、山口図書館駐車場まで徒歩で戻りました。
 駐車場にて、着替えを済ませ、温泉に行くことにしました。このときすでに18時になっており、入浴券で入浴できる温泉には間に合わなくなっていました。そこで、湯田温泉に行くことにしましたが、湯田温泉の目の前で、駐車場への進入方法が分からず、ぐるりと1周しコンビニの駐車場に車を止めて、ナビをセットし始めました・・・・・。

   ふっと、気づくと、そのまま車中にて寝込んでしまい。気付くと22時前になっていました。車中にて4時間爆睡したことになります。
 22時近くになってしまいましたので、入浴は諦め、高速道路に入り、SAを梯子しながら、宮崎に向けて帰ることにしました。
 まずは、高速に入ってすぐの美東SAにて、トイレで顔等を洗って再び睡眠を取りました。その後、2~3時間おきに、SAに止まり、食っちゃ寝、食っちゃ寝をしながら、翌日5日の11時頃には宮崎の自宅にたどり着きました。

 自宅で、ゆっくりと入浴を済ませ、更に爆睡しました。


 3日間は、両脚が象さんみたいに膨れあがっていました。
 お尻の擦過傷は、2週間は悩みの種でした。
 右足首の痛みは、歩いたりジョギングしたりすることには支障はありませんが、4週間になろうとしている今でもストレッチをかけると痛みが生じます。


反省・改善点

1) スマホの調子が悪く、さらに、自分自身にゴールへの余裕がなく、沢山の記録写真を残せず、以前の大会の写真を使い回しをせざるを得なかった事を後悔しています。再度挑戦し、もっとビジュアルな記録を残したいと思います。
2) お尻の擦過傷対策としてのディクトンは、次回から持参して走る。
3) 山用のハンディーGPSは、やはり重い。腕時計型GPSを新調し、3個ぐらいの連携でログを記録したい。
4) 今回は、予想に反して非常に暑かったことが体力を消耗した。暑さ・寒さどちらにも対応できる準備が必要。
5) 私設エイドが充実しているため、行動食は軽めで良い。
6) 地図ロイドには、コースだけでなく、エイドのウェイポイント情報を設定したい。
7) トレランポールは、必須アイテムであった。
8) 膝サポートのための自作のXテープは、非常に効果があった。

 来年も是非、出場したいのですが・・・5月2日は、業務が入っているでしょうね(-_-;)
再来年、退職してからでしょうか?