2015年5月30日土曜日

萩往還A250km_完踏記_その6

 陶芸の村公園から、旧村田蒲鉾店エイドまでは、4.0kmのロードです。

 雨が上がったと思ったら、太陽がぎらぎらと照り出し、気温がぐんぐん上昇してきました。
 B140km、C70km、F35km部門の選手と次々と交差します。
 200km以上走ってきたA250km部門の選手としては、無様な姿は見せたくないと思うのですが、疲労困憊にこの暑さ、橋のなだらかな傾斜さえも一苦労の様相を呈してきました。

 旧村田蒲鉾店エイド
 走行距離 = 220.6km 
 残り距離 =  30.5km 
 予定通過時刻 = 08:30
 実通過時刻 =  10:54
 関門時間 = 15:00 
 エイドでは、スポーツ飲料をいただきました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 残り時間7時間、残り距離30kmです。時速4.5~5.0kmの歩く速さで十分完踏です。
 しかし、今からが本大会最大の難所萩往還道です。一升谷や釿ノ切峠では、時速3.0kmも怪しいものです。それにこの暑さ。そして左足首の不調。
 悪条件ばかりで、気持ちはリタイアにどんどん傾いてきます。200km越えはしていますし、みんな許してくれるだろうと悪魔の囁きも聞こえてきます。

 そんな、ネガティブな気持ちを抑えて、『とりあえず明木までいって、明木饅頭をいただいてから、先のことを考えよう。』という理由にもならない動機でなぜか体が動いてしまうような意識も朦朧としていたような不思議な状態でした。

 旧村田蒲鉾店から、明木までは、6.3kmです。160mの丘を越えて、途中一部トレイル状のコースを通ります。

 上り坂と、照りつける日差しに喘ぎながらの走行でした。とにかく暑い、頭から水を浴びたい欲求に囚われながらの走行となりました。  途中、道の駅萩往還の横を通ります。実は3年前(平成24年)のB140kmに出場したときは、ここがエイドでしたが、今年は観光客の邪魔になるとのことで立ち寄ることもできなくなりました。ここのトイレで、顔でも洗ったらすっきりするのになあと思いながら恨めしそうな顔をして通り過ぎました。
 この、道の駅萩往還の裏手に急坂というか山道があり、萩往還につながっています。
 山の中に入ると木々に日差しが遮られ、少し涼しくなります。また、山水が流れている場所がここかしこにあり、冷たい清水をキャップですくって、頭から何度もかぶり涼を得ました。

 山道を抜けると、明木川の河川敷を走って明木の町に向かいます。萩往還道の中でも数少ないほぼフラットなコース、多くの選手が走り出しましたが、暑さと疲労でへとへとになった身体は、50歩走って、50歩歩くのがやっとのような雰囲気でした。
 それでも、歩みを止めなければ、前に進みます。へとへとになりながらも明木の町に入ってきました。
 祭りで、人があふれている通りを、こことばかりに何処にあったのか予備バッテリーを使ってにこやかに、そして誇らしげに疾走します。

 明木エイド
 走行距離 = 226.9km 
 残り距離 =  24.2km 
 予定通過時刻 = 09:40
 実通過時刻 = 12:05 
 エイドにつくなり、麦茶とスポーツ飲料をいただき、カラカラになった身体を補水しました。
 また、トイレの横に散水用のホースがあったので、頭から水をかぶり、クールダウンさせていただきました。 
 さらに、これからおとずれる険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠の制覇を目指し、明木饅頭をおいしくいただきました。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。

 明木エイドから、佐々並エイドまでは、9.9kmです。
 コースのほとんどが山道で、険しい一升谷と標高405mの釿ノ切峠、標高342mの千持峠と続きます。

 トレランポールに身を預けながら、左足首を庇いながらの我慢の走行です。
 B140kmやC70kmの選手に次々と抜かされていきます。しかし、前後に選手がいないという孤独な闘いではなかったので、精神的にはあれこれ不安な事を考えずに、ただ前の選手を目指して黙々と走行することだけに専念できていたように思います。
 ただし、うだるような暑さだけには耐えきれず、山水が流れ出している箇所を見つける度に、清水をキャップですくい、頭からかぶっていました。
 実は、クールダウンのために水をかぶる度に、お尻の擦過傷は浸みるような痛さに見舞われていました。その痛さより、クールダウンをしたい気持ちを優先しなくてはならないくらい暑かったということです。

 佐々並エイド
 走行距離 = 236.8km 
 残り距離 =  14.3km 
 予定通過時刻 = 11:40 
 実通過時刻  = 14:10
 関門時間 = 16:00 
 エイドでは、スポーツドリンクとおいしく佐々並豆腐をいただきました。
 残り時間は4時間弱、残りの距離は14km強、時速3.5km以上で進む必要があります。
 しかし、ここからの約8kmは、萩往還最高所標高545mの板堂峠までの上りがほぼずっと続きます。
 元気ならば、OKですが、暑さと左足首を庇いながらの走行では、とても完踏は無理ように思えました。
 ボーとした頭で何度も何度も、完踏の可能性を試算しました。すでに疲れ切っていたので、佐々並エイドでのリタイヤもOKではと、何度も考えました。
 結局、佐々並エイドには、15分程度滞在してしました。実際に佐々並エイドを出発したのは、14:20を回っていたようですので、完踏の可能性は更に低くなっていました。
 しかし、この15分の小休止で、熱中症の初期状況になりかけていた身体がリセットされ多様に思います。

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 佐々並エイドから夏木原キャンプ場エイドまでは、7.1kmです。トイレで顔をあり、すっきりさせた後、萩往還最高所、標高545mの板堂峠に向けて出発です。

 ちょっとした山道状の部分を抜けると、延々と上りロードが続きます。元気なときには走れないロードではありませんが、この暑さ、ほぼすべての選手が黙々と早歩きで走行していました。
 逆にそうなると、トレランポールを使って走行している私の方が優位に立ち、何人かの選手を抜かす場面まで現れてきました。
 いずれにしろ、照りつける太陽と路面の照り返しによる暑さに我慢の登りを延々と続ける我慢大会のようでした。
 途中再度トレイル状の道に入りますが、またもや長い上りロード。果てしなく続くように思えました。
 そのような中、2カ所の私設エイドでドリンクをいただき、大変助かりました。その一つは、例のかつては草団子を振る舞っていたという伝説の上長瀬の私設エイドです。コーラをいただいたら、コーラだけでは後こら苦しくなるからとスポーツドリンクもいただきました。

 ここまで来ると、夏木原キャンプ場エイドまでは、すぐ近くなのですが、なかなかたどり着けません。見覚えのあるカーブを何度も通過する度に、夏木原キャンプ場を期待するのですが、いずれもはずれ。そんなことを4~5回繰り返し、やっと夏木原キャンプ場エイドです。

 夏木原キャンプ場エイド
 走行距離 = 243.9km 
 残り距離 =  7.2km 
 予定通過時刻 = 13:10
 実通過時刻  = 15:40
 関門時間 = 17:00 
 佐々並エイドでは、この区間、時速3kmぐらいだろうと思っていたのですが、後で計算すると時速5.3kmで走行できていました。トレランポールのおかげでしょう。
 エイドでは、ドリンクと杏仁豆腐をいただきました。この杏仁豆腐がおいしくておかわりをさせていただきました。
 ここでも、疲れ切ってしまい、暫くいすに座って7~8分小休止しました。 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 夏木原キャンプ場エイドから、香山公園・瑠璃光寺ゴールまでは、7.2kmです。
 残り期間は、2時間20分ですので余裕が出てきました。
 それに萩往還最高所、標高545mの板堂峠への登りは、あと少しです。これを越えれば、後は基本的に下りです。
 しかし、脚に負担がくるのは、下り坂です。また、この萩往還最後の下りは、石畳になっていり、滑りやす、下手にこけると致命的な怪我になりかねません。


 15時44分、夏木原キャンプ場エイドを出発し、最後の上りに出発しました。
 程なく、萩往還最高所、標高545mの板堂峠を通過し、萩往還道の下り道となりました。
 暫く進み県道を横切り、階段を上ります。ほぼ下り道なのですが、県道を渡り旧萩往還道に戻るときに階段を上って行くことになります。そのような箇所がもう一カ所あります。
 萩往還道は、これまでのロードと違い、山道と石畳が連続する道です。特に石畳の上に濡れた落ち葉が積もり、いつ滑ってもおかしくない状態のところがほとんどでした。下り坂で疲労した脚は、踏ん張りがきかず、油断するとゴツゴツとした石畳の上で転び、大怪我をしそうでした。ですから、ゆっくりと足を置く位置を確かめながら、張り詰めた気持ちで進んでいきました。逆に、体力のある選手は、飛び跳ねるように下っていきましたので、ここでかなり沢山の選手に抜かされました。しかし、ゴールが目の前で消失する事のないように、安全第一と自分に言い聞かせながら、焦る気持ちを抑えて走行しました。

 暫く行くと、萩往還で有名なオカリナの音色が聞こえだし、六軒茶屋跡が現れました。ここでも、私設エイドの方にラストスパートのドリンクをご馳走になりました。
 そして、2度目の県道を横切り、階段を上ります。後1kmぐらいで、県道に出ますが、この1kmの石畳がまるでゴールを阻止しているかのように急坂で滑りやすくなっています。
 私も、慎重に下って行き、多くの選手に抜かれて行きましたが、私よりも更に足に故障を抱えている選手がおり、そのような選手を何人か抜いて行くことになりました。

 やっとの思いで、石畳を終え、天花畑(県道62号)にでてきましたが、石畳みで疲労した脚は、急峻な下り坂を走り抜ける力を有していませんでした。
 ほぼ早歩きで、一の板ダム、天花橋を過ぎ、いよいよゴール香山公園・瑠璃光寺です。
 ビクトリーロードを駆け抜けかったのですが、ボロボロになった脚をこれ以上酷使することはできませんでした。
 多くの方が、道の両側から『お帰りなさい!!』声援を送ってくださいます。その声援の中を手を振り『ありがとうございます!!』応えながら、ゆっくりと確実にゴールを目指して歩みました。

 ゴールテープの前で、記念撮影していただき、ゴールを切った後、チェックポイントシートを係員の方に検査していただき、正式のゴールが認められました。
 と同時に、完踏メダルを首に掛けていただきました。

 香山公園・瑠璃光寺
 走行距離 = 251.1km 
 残り距離 =  0.0km 
 予定通過時間 = 14:30
 実通過時刻 =  17:24
 関門時間 = 18:00 
 ゴール 

 実に、47時間20分かけて、251.1kmを完踏することができました。

 
 暑さにへばり、タイツもTシャツも脱ぎ捨て走った初日。
 嵐のような風雨に大会中止アナウンスを期待しながら走行した2日目の夜。
 身も心もぼろぼろになり、リタイヤ時を捜しながらの3日目の萩往還道。
 何とか、歩け歩けの部(F35km)から、6年かかって萩往還A250kmをやっと完踏することができました。
 スタッフ、ボランティア、私設エイド、地元の皆様、参加された選手、応援やお声掛けをいただいたすべての皆様方ありがとうございました。感謝です!!


 追伸
 宗頭文化センターから玉江駅まで、ご一緒させていただいたお二人のランナーさん、ありがとうございました。
 お蔭様で何とかゴールすることができました。
 


 ゴール後、空腹を満たすために、香山公園・瑠璃光寺前の長州苑瑠璃光寺店にいって、肉うどんをいただきました。
 店内から、次々とゴールに向かう選手が見えました。皆さん素晴らしい笑顔でゴールに向かわれていました。
 その後、これまた香山公園・瑠璃光寺前の御堀堂香山店にいって、ソフトクリームをいただきながら、暫くゴールを切る選手を応援しました。
 その後、山口育児院前の空き地に特設された荷物引き渡し所にて、旧油谷中学校跡と宗頭文化センターに預けた荷物を受け取り、山口図書館駐車場まで徒歩で戻りました。
 駐車場にて、着替えを済ませ、温泉に行くことにしました。このときすでに18時になっており、入浴券で入浴できる温泉には間に合わなくなっていました。そこで、湯田温泉に行くことにしましたが、湯田温泉の目の前で、駐車場への進入方法が分からず、ぐるりと1周しコンビニの駐車場に車を止めて、ナビをセットし始めました・・・・・。

   ふっと、気づくと、そのまま車中にて寝込んでしまい。気付くと22時前になっていました。車中にて4時間爆睡したことになります。
 22時近くになってしまいましたので、入浴は諦め、高速道路に入り、SAを梯子しながら、宮崎に向けて帰ることにしました。
 まずは、高速に入ってすぐの美東SAにて、トイレで顔等を洗って再び睡眠を取りました。その後、2~3時間おきに、SAに止まり、食っちゃ寝、食っちゃ寝をしながら、翌日5日の11時頃には宮崎の自宅にたどり着きました。

 自宅で、ゆっくりと入浴を済ませ、更に爆睡しました。


 3日間は、両脚が象さんみたいに膨れあがっていました。
 お尻の擦過傷は、2週間は悩みの種でした。
 右足首の痛みは、歩いたりジョギングしたりすることには支障はありませんが、4週間になろうとしている今でもストレッチをかけると痛みが生じます。


反省・改善点

1) スマホの調子が悪く、さらに、自分自身にゴールへの余裕がなく、沢山の記録写真を残せず、以前の大会の写真を使い回しをせざるを得なかった事を後悔しています。再度挑戦し、もっとビジュアルな記録を残したいと思います。
2) お尻の擦過傷対策としてのディクトンは、次回から持参して走る。
3) 山用のハンディーGPSは、やはり重い。腕時計型GPSを新調し、3個ぐらいの連携でログを記録したい。
4) 今回は、予想に反して非常に暑かったことが体力を消耗した。暑さ・寒さどちらにも対応できる準備が必要。
5) 私設エイドが充実しているため、行動食は軽めで良い。
6) 地図ロイドには、コースだけでなく、エイドのウェイポイント情報を設定したい。
7) トレランポールは、必須アイテムであった。
8) 膝サポートのための自作のXテープは、非常に効果があった。

 来年も是非、出場したいのですが・・・5月2日は、業務が入っているでしょうね(-_-;)
再来年、退職してからでしょうか?

 

2015年5月28日木曜日

萩往還A250km_完踏記_その5

 宗頭文化センターに、真夜中の1時頃着きました。

この写真は、平成25年にコースを視察したときの写真です。

 まず、体育館にてデポジットした荷物を受け取り、センターに向かいました。
 センター和室前の廊下に荷物とバックを置き、まず、トイレに向かいました。トイレでは、正明市のドラッグストアで購入した軟膏を取り出し、お尻の擦過傷の手当てをしました。
 その後和室に戻り、暖かい味噌汁とおにぎり、バナナをいただきました。おなかがすいていたのか、あっという間に完食してしまいました。
 おなかが満たされると、一気に疲れが出て、その場にぐったりとしてしまいました。スタッフさんから仮眠を取るなら体育館へどうぞという声で我に返り、廊下に出てGPSの電池を替えながら、体育館に行って仮眠を取るか、出発するか考えました。

 仮眠とは聞こえが良いですが、2時近くになっていましたから、下手に睡眠を取ると関門04:00を越えてしまうでしょうし、4時前に再出発できたとしても時間内完踏はかなり難しくなるでしょうから、仮眠=リタイアと同じです。

 すべての荷物を体育館に持って行き、デポジットし、『仮眠(=リタイア)させてください!!』とのどまで出ていた言葉を告げることができず、体育館に背を向けた私に、スタッフの皆さんが『頑張ってください!!』と暖かい声援を送ってくださるものだから、もう後には引けなくなり『ありがとうございます。行ってきます!!』と空元気を出していました。

 02:05、宗頭文化センター前の道路に立ち、3km先の藤井商店CP9に向かおうとした時です。
 一人の選手が、初参加なので同行させて欲しいというのである。実は、私も初参加で自信はないと告げると、今からセンターを出る選手がもう一人おり、その方は初参加ではなかったから、その方にお願いしようということになりました。斯くして、宗頭文化センターからは、3名で行動することになりました。

 藤井商店CP9は、道沿い左にありますので、左を注視しながら走行すれば見逃すことはないでしょう。
 早歩きで、先頭を行きました。小雨で不気味な真っ暗な道をせかせかと進んでいったように思います。後ろの二人は結構話をしているようでしたが、なんだか夢の中を旅しているような雰囲気で現実感がなく霧の中をさまよっているようでもありました。幾つかのカーブを曲がり、その都度期待と失意を繰り返しながらようやく藤井商店に到着しました。

 藤井商店
 走行距離 = 179.5km 
 残り距離 =  71.6km 
 予定通過時刻 = 23:00 
 実通過時刻  = 02:43
 CP09 

この写真は、平成25年にコースを視察したときの写真です。


 これから先、この藤井商店の横を通って、真っ暗な山の中を走行します。
 また、標高231mの鎖峠を越えて、9.1km先の三見駅を目指します。
 このコースは、一睡もせず180km以上走り通した真夜中の山の中ですので、多くのランナーが幻覚を見ると言われる場所です。

 チェックシートにチェックするのですが、シートが雨に濡れ下手するとぼろぼろになりそうな雰囲気でした。

 チェックを終えると、藤井商店の横を通って、鎖峠への裏道を進みます。真っ暗で急峻な坂道を我慢の登りです。トレランポールに全体重をかけて汗だくだくで登って行きました。

 暫く行くと、4~5名程度の小集団に合流し、追い抜き、03:22ついに、国道191号線に到達し、程なく前方にヘッドランプの明かりに照らされた鎖峠の看板を目にすることができました。

 と、今まで後ろに付いてきていた案内役の選手が転がり落ちるように坂を下り始めます。見失っては大変だと必死で後を追いますが、早い早い、あっという間にカーブの先に隠れてしまいます。それでも、必死に追いかけカーブにたどり着き何とか目視すると、次のカーブに走り去っていくというような状況を何度も繰り返します。
 随分と下り降りた所に私設エイドがあり、やっとそこで合流できました。ドリンクをいただいていると、もう一人の連れの選手も追いついてきました。

 私設エイドで、一息つくと再び走り出します。
 程なくすると明らかに勾配が緩くなり、田畑の広がりが見えてきます。
 さらに進むと、家々も見え始め、やがて路地に迷い込みます。

 線路を越えましたが、三見駅が見当たりません。
 うろうろと辺りを見渡していると、もう一人新たな選手が追いついてきて、『向こうかもしれません。見てきます。』と元気よく走っていきました。
 我々3人も後を追うように、走って行くと、先導の選手が手招きしています。
 後から、走行ログを見ると、右折すべき所を直進してしまい、往復500m位のロスが生じていました。

 三見駅
 走行距離 = 188.6km 
 残り距離 =  62.5km 
 予定通過時刻 = 00:40 
 実通過時刻  = 04:24 
 CP10 
 ドリンクとパンをいただきました。

この写真は、平成25年にコースを視察したときの写真です。

 三見駅から、6.9km先の玉江駅までは、5つの踏切を渡り、標高80m位の丘を越えて行くことになります。
 離合不能な車1台が通れるくらいの道をたどっていきます。  平成25年の車で視察したときは、道幅の狭さに戻るに戻れず進むしかなかった事を思い出していました。

 程なく、山道となり、トレランポールに助けられながら登っていきました。
 勾配が下り坂になる頃には、辺りが明るくなり始め、小鳥のさえずりが聞こえ始めました。

 木々の向こうに大学のキャンパスのような立派な建物が見え始めました。
 『いったいどこの大学なんでしょうね?』と問いかけますが、2人とも答えてくれません。
 さらに、下っていくとガウディがデザインしたのではないかと思われる奇抜なアパートが見えてきました。
 『こんな素敵なアパートが、こんな所にあるのですね?!』と話しかけると、2人が顔を見合わせ困惑した顔をして、『アパートなんか何処にもないよ』というのです。
 そう言われて、よくよく見るとそれは、単なる崖のようにも見えますが、やはりアパートにも見えるのです。

 その後、踏切を何度か渡るのですが、踏切と分かっているのですが、遮断機の機械部分が女の子とお母さんが手をつないでいるように見えるのです。
 いわゆる幻覚というやつなのでしょう。つまり、私が見た立派な大学のキャンパスもガウディがデザインしたような奇抜なアパートもすべて幻覚だったのです。
 そう確信すると、確かに遮断機は映像的には遮断機なのですが、認識的には女の子とお母さんが手をつないでいるように見えるのです。
 つまり、網膜に映し出され視覚される映像とその映像の認識との間にミスマッチが生じて、遮断機を見ているのに女の子とお母さんが手をつないでいるように認識してしまうのです。
 そう思うと、次の踏切が楽しみで楽しみで仕方がなく、不気味な微笑みを浮かべながら走っていたように思います。 

 いよいよ、萩の町です。辺りはすっかり明るくなって、新聞配達や早起きの地元の方々に出会い始めます。
 もちろん『おはようございます!!』と、あいさつを交わしながら颯爽と走って行きます。

 玉江駅前
 走行距離 = 195.5km 
 残り距離 =  55.6km 
 予定通過時刻 = 02:00
 実通過時刻  = 05:50
 エイドでは、お茶をいただきました。 
 ここからB140km部門の選手と合流し始めます。
 B140km部門の選手からA250km部門の選手に送られるエールと羨望の眼差しは、完踏への何よりのエネルギーになります。

 明るくなったし、ここからの道は、もう迷うことはありません。
 宗頭文化センターから一緒に走ってきた2人の選手にお礼を言って、それぞれ単独行動することになりました。
 小生は、幻覚が見え始めたこともあり、玉江駅で少し仮眠をしようと思ったのですが、気持ちが高揚しているというか高ぶっており、目をつぶる気になれなく、すぐに出発してしまいました。

 玉江駅から、浜崎緑地公園までは、ほぼフラットな道3kmです。
 明るい町の中を走ると、目標物があり、進み具合が景色とともに分かり、随分走行が楽に思えました。

 浜崎緑地公園
 走行距離 = 198.5km 
 残り距離 =  52.6km 
 予定通過時刻 = 02:40 
 実通過時刻  = 06:24
 CP11 
 あと1.5kmで200km超えとなります。
 人生初の記念すべき200km超えです。

この写真は、平成25年にコースを視察したときの写真です。

 ここから、虎ヶ崎・つばきの館までは、8.9kmです。
 A250km部門やB140km部門の往路、復路の選手が交差し合い、エールを交換しながら走行します。
 疲れてはいましたが、結構誇らしげに走れていました。もちろん100歩走って、50歩歩くの繰り返しですが・・・
 また、虎ヶ崎・つばきの館では、最後の食事、カレーが待っていると思うと、とても楽しみです。

 明神池を過ぎ、いよいよ笠山への急勾配の上りと下りです。
 上りは、トレランポールを頼りに、我慢の登りです。
 下りは、脚に注意を払いながら、一気に駆け下ります。
 ・・・と、終に来ました。すべての疲労が貯まり貯まって、左足首が悲鳴を上げ始めました。
 こうなると、下りを駆け下ることができなくなります。下りも左足首を庇いながら我慢の走行です。
 次々と選手に抜かされながら、足を引きずるようにして走行する事になりました。
 しかし、虎ヶ崎・つばきの館は、目と鼻の先です。おいしいカレーが待っています。

 虎ヶ崎・つばきの館
 走行距離 = 207.4km 
 残り距離 =  43.7km 
 予定通過時刻 = 04:20 
 実通過時刻  = 08:03 
 関門時間 = 13:00 
 CP12・記帳・GPSの電池交換。
 フル5本分を完踏しました。残りは、44km弱です。
 食事は、当然おいしいカレーをいただきました。 

 残り10時間で、44kmです。歩く速さで十分なのですが、この後、萩の山が待っていますし、左足首の痛みのため下りが走れなくなっています。完踏は、かなり厳しくなってきました。

 虎ヶ崎・つばきの館から、金照苑・東光寺前までは8.3kmです。
 まずは、笹山の残り半分を時計回りに進み明神池に戻ります。ちょっとしたトレイル状というかハイキングコースなのですが、左足首を庇いながらの走行に何人もの選手に抜かれてゆきます。
 明神池からは、ほぼフラットなロードです。痛み止めを飲んで、100歩走って、50歩あるくを努めて頑張ります。
 金照苑・東光寺前まで、残り1kmになろうとしたとき、再び雨が激しく降り始めました。久々にカッパを着込んでの走行です。

 金照苑・東光寺前
 走行距離 = 215.7km 
 残り距離 =  35.4km 
 予定通過時刻 = 07:30 
 実通過時刻  = 10:03
 CP13 

この写真は、平成24年にB140kmに出場したときの写真です。


 柑橘系の果物がおいしくて沢山いただきました。
 東光寺に、無事に完踏できますようにとお祈りして出発です。
 陶芸の村公園まで0.9kmの上りです。

 陶芸の村公園
 走行距離 = 216.6km 
 残り距離 =  34.5km 
 予定通過時刻 = 07:40 
 実通過時刻  = 10:15
 CP14  
 ここは、F35km部門のゴールおよび、C70km部門の折り返し地点となりますので、多くの選手と合流します。
 また、最後のチェックポイントです。チェックシートにすべてのチェックがなされたことを確認してウエストポーチにしっかり格納しました。

 雨が、すっかり上がり、今度は蒸し暑くなってきました。

2015年5月24日日曜日

萩往還A250km_完踏記_その4

 チェックシートにCP6のチェックを終え、15:00、嵐のような千畳敷を後にしました。
 日置エイドまでは、5.8kmです。
 千畳敷の急峻な坂を脚に注意を払いながら一気に下り降ります。途中、私設エイドでドリンクをいただき、雨が弱くなったのでカッパを脱ぎさらに下り降ります。
 下りだけで約4kmありますので、平地になってからは2km程度のはずなのですが、日置エイドまでは結構長く感じました。走ったり歩いたりを繰り返し、何とか日置エイドに到着しました。

 日置エイド
 走行距離 = 131.2km 
 残り距離 = 119.9km 
 予定通過時刻 = 14:00
 実通過時刻  = 16:00
 関門時間 = 18:00 
 記帳 
 エイドでは、元気のよい小中学生ボランティアさんにカップ麺を作っていただきました。 
 小中学生がたくさんいたような気がします。

 カップ麺をいただいた後、お菓子をつまみながら、おいしいお茶をいただいて暫し小休止しました。
 この後標高86mの黄波戸峠を越えて、湯本交差点までの13.6kmを走行します。
 この頃は、100歩走っては、50歩歩くを繰り返していました。実に長い道のりでした。

 正明市の交差点近くのドラッグストアに入って軟膏を購入しました。
 脚の痛みは、すでに8時間おきに鎮痛剤を服用していましたので、思ったより快調でした。
 問題は、長崎橘湾岸スーパーマラニックL173kmでも経験しましたが、お尻の擦れが尋常ではなくなり、汗が流れ当たるとしみるような痛みがするのです。
 前回の経験を踏まえ、今回は出走前に、ディクトンを塗ってはいたのですが、これだけの時間走り続けるのであれば、途中での塗り直しが必要なのでしょうね。次回は、ディクトン持参で走りたいと思いました。

 正明市の交差点を右折し、4.6km先が今回新しく設定された湯本温泉CP7です。
 なだらかな上りですが、走れない勾配ではありません。しかし、向かい風と横風が非常に強く、走れるような状況ではありませんでした。
 また、このコースは折り返しになっているため復路の選手が道路向こうを走行していますが、道路が広く声を掛け合うような状況ではありませんでした。

 強風に悩まされながら、何とか折り返し地点に到達し、横断歩道を渡って復路に向かおうとした時です。先ほど復路に着いたばかりの選手が道路向こうから大きな声で『チェックポイントは、そこですよ~』と叫んでいるのです。指さす方向を見ると、何と今渡ろうとしている横断歩道の真後ろの柵にチェックポイントが設定してあるのです。『ありがとうございます~』と大きな声で返事を返し、早速CP7をチェックしまし横断歩道を渡って復路につきました。
 程なく、往路の選手が見えたので、教えてあげなくちゃと思い、早速大きな声で道路向こうの選手に『チェックポイントはあそこです!!』と指で差し示し伝えました。
 湯本温泉エイドは、CP7から復路を150m程下ったところにありました。

 湯本温泉エイド
 走行距離 = 144.8km 
 残り距離 = 106.3km 
 予定通過時刻 = 16:20
 実通過時刻  = 18:26
 CP07 (150m手前)
 エイドでは、 みかんとバターをのせたパンをいただきました。 
 実に長い距離でしたが、途中ドラッグストアに立ち寄り気を紛らわせました。

 ここ湯本温泉エイドから、仙崎公園エイドまでは、7.4kmです。
 正明市の交差点までの約4kmは、緩やかな下り、それに往路での向かい風は、復路では追い風のはず。ということで、結構それなりに走りました。
 正明市の交差点の地下道を渡って右折して暫く進むと、薄暗くなってきたので、ヘッドランプを着用しました。
 周りが暗くなると、途端に道のりが長く感じられます。100歩走って、50歩歩く。何度繰り返しても仙崎公園エイドにたどり着きそうもありません。前後に選手の姿も見えず、焦りも感じ始めます。

 悶々とした気持ちで夜の町を走っていると、前方にピカピカバッチを発見。すでに復路の仙崎公園エイドを終え、宗頭文化センターに向かう選手でした。
 それでも、道は間違っていなかったことに安堵して、程なく到着するであろう仙崎公園エイドに向けて足を速めました。

 仙崎公園エイド
 走行距離 = 152.2km 
 残り距離 =  98.9km 
 予定通過時刻 = 17:40
 実通過時刻  = 19:45
 記帳・GPSの電池交換
 残りの距離が100kmを切りました!!
 エイドでは、コーラをいただきました。 
 仙崎は、金子みすゞ生誕の地仙崎です。
 平成25年の視察では、妻と金子みすゞ記念館に行きましたが、今日は、真っ暗で辺りがはっきりしません。


 これから、標高86mの大日比峠を越えて6km先の静ヶ浦キャンプ場で折り返してきます。
 まずは、青海大橋を渡るのですが、半端なく上りでしたし、風が強く少々気味が悪かったです。
 復路の選手と出会い始めます。『お疲れ様!!』などとエールを交換しながら進みます。小雨と靄と風の中をトレランポールを頼りに登り続けます。
 静ヶ浦キャンプ場に着けば、カレーが渡ります。カレー目当てに疲れてはいましたがズンズンと進んで行きました。

 峠を越え、小集団と合流して進みます。往復の選手が狭い道を譲り合うようにして走行しますので、一列で進みます。先頭の女性の選手のRunを追うように早歩きで進みました。
 幾つも幾つも角を曲がり、その度ごとにエイドを期待するのですが、毎回期待外れとなります。途中で、もう止めてくれと叫びだしそうな気持ちになりました。
 やっとの思いで、静ヶ浦キャンプ場に着いたと思った瞬間、雨が激しく降り始めました。

 静ヶ浦キャンプ場
 走行距離 = 158.3km 
 残り距離 =  92.8km 
 予定通過時刻 = 18:40 
 実通過時刻 = 20:47 
 関門時間 = 22:00 
 CP08 
 食事は、カレーをおいしくいただきました。
 胃腸は、まだまだ大丈夫なようです!!

 どうしても眠たい場合はここで仮眠するつもりでしたが、今回は、激しい雨と風を避けるために暫く仮眠して様子を見ることにしました。
 食事の後、本大会休憩用に用意されていたログハウスに向かいました。
 すでに、10人以上の選手が所狭しと集まっていました。入り口で、シューズを脱ぎ、トレランポールや荷物を置き、中に入るとカップ麺をいただきました。2階に上がる階段に腰掛けカップ麺をいただきました。
 そうこうしているうちに、何人も選手が入ってきます。その度に、外の激しい嵐のような風雨が聞こえてきます。『こりゃだめだ!!』と思いましたし、大会自体が中止になってくれるといいなとも思ってしまっていました。
 選手がたくさん入ってくるので、階段を上がり、暗闇の2階に行ってみると選手が4名仮眠を取っていました。そこで、小生もこの嵐の中走れるわけ無いのだからと、仮眠することに決め、何とか場所を確保して横になりました。

 30分ぐらい仮眠を取ったでしょうか、すると、1階からスタッフさんの声が聞こえてきました。『リタイアを希望する選手は、もうすぐバスが来ます。ここでの関門時間は22:00ですので、このログハウスにこの時間を過ぎて滞在した場合は関門オーバーになります。』というようなことでした。相変わらず、選手の出入りがありましたが、戸が開いたときに聞こえる外の様子に変化が現れていました。風雨が明らかに弱まっています。
 150km以上走り、40時間近くまともに寝ていない頭で、暫く考えました。食事も摂ったし、少し仮眠したので元気になった。これまでの最長不踏距離は、173kmであるが、宗頭文化センターまで行けば、それを越えることができる。
 21:40、関門20分前、レースに復帰することにしました。次の判断は、宗頭文化センターですることにしました。

 暗闇の中、ヘッドランプを頼りにカッパを着ることなく外に出ました。少し弱まってきた風と小雨が気持ちよく肌を冷やします。
 仙崎公園エイドまでの復路は6kmです。往路で道がわかっているせいか同じ時間費やしましたが復路では早く感じました。
 途中、沢山の往路の選手と会い、『お疲れ様!!』と声をかけましたが、頭の中では、残念ながら今からでは関門オーバー、でもよく頑張ったよね。と思いながら進みました。

 仙崎公園エイド
 走行距離 = 164.4km 
 残り距離 =  86.7km 
 通過時刻 = 20:00 
 通過時刻 = 22:55
 記帳 
 エイドでは、コーラをいただきました。 
 これでフル4本分を完踏しました。
 コース全体の3分の2を消化しました。

 仙崎公園エイドから、宗頭文化センターまでは、11.8km。
 このコース、仙崎公園エイドから仙崎漁港をぐるりと回る約4km程がちょっと入り組んでわかりにくい部分があります。雨が降って白線も消えかかっているでしょうから地図ロイドで確認しながら慎重に進みました、
 小雨の中、海からの風が冷たく感じられ、カッパを着込んだのもこの区間でした。 

 難所を何とかクリアして、後はほぼ一本道なのですが、前後に選手も見えず孤独で不安な長い道のりでした。
 途中、遙か前方にライトをちらつかせて走っている選手を確認し、急いで後追います。随分近づいてきたとき、その選手は、コースを外れて右方向に曲がっていきます。ひょっとして近道?!遅れを取るまいと、なお急いで追います。20m位近づいたときに、様子がおかしいことに気づきます。選手とばかり思っていた人は、まったくの民間人。自分の馬鹿さ加減に気づき、左折しコースに戻ります。無駄な走りをしてしまいましたし、追いかけられた方には気味の悪い思いをさせてしまいました。

 コースに戻り、暫く走っていると、今度は本物の選手2人に出会います。彼らは、私が来るのを待っていてくれ、私が追いつくやいなや、『このコース間違っていないですよね?!』と尋ねてくるのです。『多分間違っていないと思います。私は、少しコースアウトしましたが、宗頭文化センターは、この道沿いの右側にあるはずだから、今までになければこの先にあるはずです。』と少々説得力のない回答をしてしまいました。彼らは、その不安げな回答に少々戸惑い思案している様子でした。私も不安でしたが、行くしかないと思い先を急ぎました。

 暫く進むと、コンビニがありました。いつも通り、ガリガリ君を購入して、宗頭文化センターの位置を訪ねると、『まだまだ、随分先ですよ。』との回答でした。後から、地図で確認すると、ここから宗頭文化センターまでは、約4km先でした。
 コースが間違っていないと確認できると俄然力が湧き、100歩走って50歩歩いての弾みが付いてきました。ここまでも長かったですが、この後の4kmも実に長く感じた区間でした。

 コース右沿いに明るい建物が見えるたびに、宗頭文化センターとの思いを馳せ近づくと勘違いを何度も何度も繰り返し、ようやく宗頭文化センターに到着です。

 宗頭文化センター
 走行距離 = 176.2km 
 残り距離 =  74.9km 
 予定通過時刻 = 22:00
 実通過時刻 = 01:16 
 関門時間 = 04:00 
 記帳・荷物受取。
 人生最長不踏距離達成!!
 これまでの最長距離は、長崎橘湾岸マラニックの173kmでしたので、これより先はすべて記録更新となります。
 食事は、味噌汁とおにぎり、バナナをいただきました。

2015年5月23日土曜日

萩往還A250km_完踏記_その3

 朝食を済ませ、給水し、海湧食堂から出てきたときは、すでに8時を回っていました。
 次の俵島CP3までは、11kmです。さらに、俵島CP3から、9.3kmで川尻岬・沖田食堂CP4です。
 川尻岬・沖田食堂CP4の関門は、12:30ですので、およそ20kmを4時間ちょっとで走行しなくてはなりません。
 小刻みなアップダウンが連続する区間です。雨足も強くなりカッパを着用しました。だらだらと歩いていると関門に確実に引っかかるでしょう。
 C70kmにエントリーされているスタッフさんから、海湧食堂前で、応援いただいたばかりです。 空元気を出して出発です!!

 道元山の縁を回り、久津漁港に降りてきたときには、雨も上がって来ました。雨が上がると同時に、むかついていた胃腸も回復基調になり、朝食が完食できなかった事もあり、川尻岬・沖田食堂でいただけるカレーが無性に食べたくなりました。
 食欲が出てくると、気力も回復し、上りはトレランポールで早歩き、下りは一気に駆け下るという、リズムに弾みがつき、程なく大浦漁港に到達しました。
 時刻は9時頃でしたので、地域の方にもたくさん会うことができ、『おはようございます』のあいさつを積極的にしていました。
 また、復路の選手と次々に出会い始めたので嬉しくなり、『お帰んなさい!!』、『行ってきます~!!』などとハイテンションに叫んでいました。
 そして、叫べば叫ぶほど不思議と元気になる自分を感じていました。
 また、この漁港で、民家の軒先でお茶をいただきました。さらに、私設エイドでコーラやレモン水もいただくことができ、気づけば平地も早くはありませんが積極的に走っていました。

 しかし、この大浦漁港から俵島CP3の遠いことといったら大変でした。
 俵島CP3は、大浦漁港の先に連なっている油谷島を2.5km程度時計回りに半周した地点となりますが、車一台が通れるくらいの急峻な山道を気が遠くなるほど上り下りし所にあります。
 トレランポールがなかったら、小生の実力では諦めていたかもしれません。
 また、このころ、僧侶姿に仮装した選手と言葉を交わし、前後しながら走行することができたことも幸いしました。

 俵島CP3
 走行距離 =  98.5km 
 残り距離 = 152.6km 
 予定通過時刻 = 08:00
 実通過時刻  = 09:46
 CP03 
 ビューは最高ですが、小刻みな上り下りの連続で疲れちゃいました。
 あと1.5kmで走行距離が100kmを超えます。

 残念ながら、給水タンクを積んだ俵島CP3の伝説のおばあちゃんには会うことができませんでした。
 ですから、大浦漁港の私設エイドと民家のおばちゃんのところで、また小休止しようと、油谷島の残り半周を何かに取り憑かれたようにずんずんと走行していました。
 私設エイドは閉鎖されていましたが、民家のおばちゃんのところで、おいしいお茶をごちそうになり元気をいただきました。ありがとうございました。
 また、往路の選手に『おつかれ~』、『行ってらっしゃい~』とハイテンションに叫び俵島CP3を制覇した喜びを感じていました。

 久津漁港に戻り、ここからは川尻岬の方へ左折します。
 この角のお店で、またもやガリガリ君を買って、歩きながら食べました。火照った体にガリガリ君は最高でした。
 この後、標高150m程度の丘を二つ越えて川尻岬・沖田食堂CP4に向かうことになります。
 googleマップで事前に見ていた風景が目の前に広がってきます。しかし、googleマップでは、一気に目的地にたどり着けたのですが・・・・。実際に走行するとなかなかたどり着けません。
 最後の丘を登りきり、水岬三叉路を左に一気に下ると川尻岬・沖田食堂です。復路の選手にエールを送りながらずんずん下って行きますが、帰りはこれを登るのかと思うとちょっとうんざり。

 川尻岬・沖田食堂
 走行距離 = 107.8km 
 残り距離 = 143.3km 
 予定通過時刻 = 09:40
 実通過時刻  = 11:20
 関門時間 = 12:30 
 CP04・記帳 
 食事は、カレーをおいしくいただきました。 胃腸がすっかり元気になりました!!
 他の選手と話していると、胃腸がむかむかして海湧食堂では食事が進まなかった人がかなりいることがわかった。
 きっと、気温と湿度が高すぎて軽い熱中症のような症状になっていたのではないかと思っています。
 そのような状況が、雨が降ることにより、気温がずいぶんと低くなり解消され、体調が戻ってきたのでしょう。

 川尻岬・沖田食堂からは、標高160mの畑峠を越えて10km先の立石観音に向かいます。
 カレーを食べて、元気になったためか、水岬三叉路までの上りはさほど気にすることなく登ることができました。
 水岬三叉路を左折した頃から、また、雨足が激しくなりカッパを着込みました。しかし、カッパを着ると蒸し暑くてたまりません。小雨になったらすぐに脱いでいました。
 標高160mの畑峠を越えて一度、川尻漁港まで下ります。そして再び110m程度の丘を越え、立石観音に向かいます。川尻漁港からは、きっとあの丘を越えた向こう側の海岸辺りが立石観音だろうなと思いながら進みました。昼間の走行は、目標が目視できるのである種の安心感がありました。また、いくつかの小集団と行動を共にできたこともラッキーでした。
 丘を越え、暫くすると眼下に立石観音が見えてきました。スマホを取り出し撮影しようとするのですが、カメラアプリが全く動きません。スマホ本体自体を再起動するも、再起動そのものの様子が時間がかかりすぎて様子が変なのです。再度再起動をかけながら先を急ぎます。何とかカメラアプリが動作しだしたときは、すでに海岸近くになってからでした。

 立石観音
 走行距離 = 117.8km 
 残り距離 = 133.3km 
 予定通過時刻 = 11:30 
 実通過時刻  = 13:10
 CP05
 H25年の視察以来、二度目の訪問となりますが、立石観音は圧巻でした!!

 雨足が非常に強くなり、漁港の施設内で再度カッパを着込みます。また、自動販売機でドリンクを買って小休止しました。
 これより標高0mから、標高100m程度の峠を2つ越え、さらに標高330mの千畳敷までの7.6kmは我慢の走行です。

 いきなり急峻な坂道、誰一人走る人などいません。風も非常に強くなって、横殴りに雨が打ち付けてきます。
 トレランポールを頼りに、とにかく我慢の登りでした。

 そのような状態でしたが、少ない下り坂部分は、気丈にも走っていました。
 雨と風は、標高が高くなるにつれ激しさを増してきました。
 途中私設エイドで、あまいフルーツポンチのようなものをいただきましたが、あまりにもおいしくて、厚かましい話ですが3杯もおかわりをしてしまいました。ごめんなさい。そして、ありがとうございました。

 千畳敷への道は、急峻な坂道なのですが、津黄峠を過ぎ交差点を左折した後の残り1kmは、超ウルトラ急峻な坂道!!喘ぎながら、千畳敷までの最後の行程です。

 千畳敷
 走行距離  = 125.4km 
 残り距離 = 125.7km 
 予定通過時刻 = 13:00
 実通過時刻  =  14:53
 CP06 
 フル3本分を完踏しました。
 ここ千畳敷は、本コースの中間地点となります。 残りは、125.7kmです。
 それにしても風がごうごうと音を立て冷たい横殴りの雨に、楽しみにしていたソフトクリームも取りやめ、急いで下山です。


 この後は、一気に下り日置エイドに向かいます。

2015年5月20日水曜日

萩往還A250km_完踏記_その2

 大勢の観客に見送られながら、非常にゆっくりとしたスピードで瑠璃光寺を後にしました。
 本大会、はじめのエイドは、参道を抜けた後、町中を通り、椹野川の河川敷を走り、上郷駅前エイドまでの13.2kmです。
 本大会も27回を刻み、勝手を知っている地域の方々が、要所要所で声援してくださいます。
 『走れていることを感謝する心が大切である。スタッフ、選手、地域の方々に笑顔で感謝の言葉を伝えながら走ろう。』とのウルトラセミナーでの話を思い出し、道ですれ違うすべての方々に、『こんにちは』とあいさつをし、『行ってきます~』と手を振り走行しました。

 30分も走ると、町中を抜け、椹野川の河川敷を走るコースとなりました。
 ここで、大変なことを思い出します。GPSのスイッチを入れ忘れているのです。
 すべての走行記録を取ろうと思っていたので、ちょっとがっかり。一旦停止し、GPSのスイッチを入れ、走り出すのですが、気分は少々ロー。

 多くのランナーに抜かれながら、河川敷を延々と走行します。
 250kmを越えるコース、はやる気持ちを抑えて脚が潰れてしまわないゆったりとした走行が完踏の秘訣と自分に言い聞かせ、一番ゆっくり走行しているランナーの後ろに着いて走りました。
 3年前のB140km部門では、このコースの中程の矢原河川公園で折り返して防府を目指しましたが、A250km部門では矢原河川公園を通り過ぎて上郷駅まで行くことになります。
 後から知ったことですが、この日の気温は28度にもなり、気温が高く汗だくだくの走行となりました。川からの風が火照った体を心地よく冷やしてくれましたが体力は確実に弱って行きました。

 上郷駅前エイド
 走行距離 =  13.2km 
 残り距離 = 237.9km 
 予定通過時刻 = 19:30
 実通過時刻  = 19:38 
 エイドでは、コーラ、バン、バナナをいただきました。 
 多くの選手に抜かれてゆきますが、マイペースを死守して行きます。
 辺りはすっかり暗くなり、ヘッドランプを着用しました。
 次の湯ノ口エイドは、8.6km先です。標高126mの二本木峠を越えていくことにになります。

 このころから珠々つなぎになっていた集団はすっかりばらけ、4~5人の小集団がまばらに走行するような雰囲気となってきました。
 小生といえば、後続の小集団に次々と追い越され、その追い越していった小集団を順次目印にしながらの夜間走行となりました。
 また、ウルトラセミナーで、積極的な歩きを始めから意図的に導入することが完踏の秘訣であるという話を思い出し、二本木峠の登りの辛さについ歩いてしまう消極的な自分を積極的に擁護していました。

 湯ノ口エイド
 走行距離 =  21.8km 
 残り距離 = 229.3km 
 予定通過時刻 = 20:40
 実通過時刻  =  20:48
 エイドでは、おにぎりとポカリをいただきました。 
 やっと、ハーフ1本分完踏です。
 残り230kmもあるのに、すでに疲れてきました。大丈夫か?!
 雨が降ってきそうなムッとした蒸し暑い大気に包まれ、体力が確実に消耗していくのがよくわかりました。

 次の下郷駐輪場エイドまでは、6kmです。
 川沿いの道や田んぼのすぐ脇の道をずっと走ったように思います。
 目印にした小集団に引っ張られながら、黙々と走っていたように思います。
 このころ、思っていたことは、『とにかく西寺交差点エイドまでは行こう。フル1本分も走らずに終わったら、おかしいでしょう。』です。
 そう思うくらい、疲労困憊していたように思います。

 下郷駐輪場エイド
 走行距離 =  27.8km 
 残り距離 = 223.3km 
 予定通過時刻 = 21:30
 実通過時刻  = 21:41
 エイドでは、バナナ、チョコ、ボカリをいただきました。 
 また、頭から水をかぶり、顔を洗ってクールダウンさせていただきました。

 カエルの合唱を聴きながら自転車道ひたすら走行しました。
 次は、4.2km先の美祢高校前エイドですが、先導していた小集団がスルーしたため、小生もスルーしました。
 ただし、美祢高校前エイドの500m程先にコンビニがあり、多くのランナーがそこで小休止していました。
 小生も、コンビニでガリガリ君を買って食べました。
 また、脹ら脛に痙攣を感じだしたので、芍薬甘草湯をここで飲みました。
 次の西寺交差点エイドまでは、美祢高校前エイドから12kmとなります。

 

 ゆるやかな上り勾配が痙攣を感じだした脚に重くのしかかり、歩きが多くなりだしました。
 このときの気持ちは、『とにかく西寺交差点エイドまで行き、なんとか豊田湖畔エイドまで行ってうどんを食ってから先のことを考えよう。』でした。
 前後に選手の気配を感じないことが多くなりだしました。
 コースは、ほぼ道なりなのですが、前後に選手がいないのが不安で、あらかじめコースを設定していた地図ロイドを何度も立ち上げて確認しました。亀の行進のようにちっとも前に進まなく時間ばかりが過ぎたように思います。 

 西寺交差点エイド
 走行距離 =  44.0km 
 残り距離 = 207.1km 
 予定通過時刻 = 23:40 
 実通過時刻  = 00:23
 歩きが多くなった分、予定通過時刻より43分遅くなりました。
 エイドでは、レモネードをいただきました。 
 やっと、フル1本分完踏です。残りフル5本分です。 コース全体の6分の1を消化しました。
 次の豊田湖畔公園エイドまでは14.7kmあります。しかも、標高256mの丘を越えていくことになります。
 関門は、03:30ですので、このコースを今から3時間余りで走行しなくてはなりません。今の体力を考えると結構テンパってきました。
 トレランポールを取り出し、上り坂に備えました。

 西寺交差点エイドを出て、踏切を渡ると、いきなり上り坂です。
 トレランポールを頼りに、無我夢中で登ります。
 本大会で初めて、他の選手を抜かしたのはこの区間でした。これも、トレランポールのおかげでしょう。
 また、芍薬甘草湯が効いてきたのか、この頃はまったく脹ら脛の痙攣を感じなくなっていました。このことも、他の選手を抜かすことができた要因でしょう。
 暫く、我慢の登りを続けると、今度は急峻な下りです。関門時刻と下り坂走行による脚の故障を天秤にかけながらも、今の体力では下りコースしか走れないので一気に駆け下りました。
 暫く下ると今度は小刻みのアップダウンが続きます。ここも登りはトレランポールを使って我慢の登り、下りは一気に駆け下りました。
 そうこうしていると、暗闇に湖の影が見え始めました。エイドまで一踏ん張りです。
 エイドへの分かれ道で交通案内をしてくださっているスタッフさんが天使に見えます。『こんばんは、ありがとうございます。』とお礼をいってエイドへ向かいます。

 豊田湖畔公園エイド
 走行距離 =  58.7km 
 残り距離 = 192.4km 
 予定通過時刻 = 01:40 
 実通過時刻  = 02:46
 関門時間 = 03:30 
 CP01・記帳
 予定時刻を1時間以上オーバーしましたが、関門時間には間に合うことができました。
 残りの距離が、200kmを切りました。凄い!?
 食事は、温かいうどんをいただきました。
 エイドでの時間を極力抑えるために、おにぎりは携行して出発しました。
 次の俵山温泉エイドまでは、8.4kmです。

 この公園のトイレで、Tシャツとタイツを脱ぎました。上半身は、ファイントラックのフラッドラッシュパワーメッシュのTシャツ、言わば下着姿となりました。しかし、ムッとする大気をこれでずいぶん緩和することができました。というより、早いうちにこうしておけば、もう少し楽であったに違いないと思いました。
 萩の山は寒く、いつぞやの大会では雪が降ったとの話に、寒さ対策はある程度してきていたのですが、こんなに暑くなるとは夢にも思いませんでした。
 真っ暗なコースをほぼ一人で走行しました。地図ロイドでコースを確認しながら進みました。
 途中、バス停で仮眠している選手を2名発見しました。
 また、時折、小雨がぱらついていました。
 この頃思っていたことは、『とにかく、旧油谷中学校まで行って、バスに収容してもらうかどうかは、そのときの状況で判断しよう。』でした。
 また、『明るくなったら気分も変わるはずだ。』です。
 

 俵山温泉エイド
 走行距離 =  67.1km 
 残り距離 = 184.0km 
 予定通過時刻 = 03:00
 実通過時刻  = 04:25 
 エイドでは、コーラをいただきました。 
 また、足の指や膝に痛みが生じ、ここで痛み止めを服用しました。
 次の新大坊エイドまでは、12.7kmです。
 3.5km先の砂利ヶ峠までは、我慢の上りです。
 その後は、日本海に向けて基本的にず〜っと下り道です。

 俵山温泉エイドからの出だしの道は、よく間違えるとの話があったので、地図ロイドと白線に注意しながら進みました。
 砂利ヶ峠の登りは結構ありましたが、トレランポールを利用し、早歩きのスピードで、ずんずん登っていったように思います。
 暫く、我慢の登りが続きましたが、程なく急峻な下りとなりました。登りの歩きのペースを取り戻すかのように、やはり下りは駆け下っていました。しかし、その下りの長さには閉口しました。
 しかし、痛み止めも効き出し、結構平気で駆け下っていたように思います。また、砂利ヶ峠を越えた頃には、夜も白々と明けだし、そのうちすっかり明るくなりました。
 この区間では、かなり多くのランナーを抜かしたように思いますし、前後の識別できる位置にランナーを確認できていました。

 新大坊エイド
 走行距離 = 79.8km 
 残り距離 = 171.3km 
 予定通過時刻 = 04:40
 実通過時刻  = 06:22
 エイドでは、バナナをいただきました。 
 空がすっかり明るくなってきました。しかし、雨風が時折強くなっていました。


 旧油谷中学校跡までは、7.3kmです。
 予定より、1時間40分遅れており、旧油谷中学校跡の関門は8:30ですので、残り2時間でたどり着く必要があります。 
 また、旧油谷中学校跡の関門をクリアしても、そこから20.7km先の川尻岬・沖田食堂の関門が12:30が待っています。ですから、少しでも早く旧油谷中学校跡に到着したいものだと考えていましたし、到着時刻が遅くなるようであるならリタイアもあり得ると思っていました。
 またこの後、小刻みなアップダウンが続き始めます。特に油谷湾に入ってからは平地は皆無状態でした。
 さらに海沿いの道を通るため、風雨の激しさが増してきました。
 旧油谷中学校跡と海湧食堂は、200mしか離れておらず、関門をクリアするために先に旧油谷中学校跡でCP02と記帳を済ませた後、海湧食堂に行くことが許されていました。
 そこで、まず旧油谷中学校跡でCP02と記帳を済ませ、預けておいた荷物から栄養ドリンクを取り出して飲みました。また、豊田湖畔エイドで脱いだタイツとTシャツを荷物に戻し、GPSの電池を交換しました。着替えは特にしませんでした。
 外を見ると選手収容バスが到着していました。何人かの選手が乗っていました。思いを断ち切るように、まずは海湧食堂に行って朝食を摂ることにしました。

 海湧食堂
 走行距離 =  86.9km 
 残り距離 = 164.2km 
 予定通過時刻 = 05:40
 実通過時刻  = 07:52
 予定より、2時間12分遅れです。次の関門まで4時間38分です。
 食事は、おいしい牛丼 をいただきました。ただし、完食をすることができませんでした。疲れ果てて、吐き気がするのです。 
 フル2本分を完踏しました。 コース全体の3分の1を消化しました。でもまだ先は遠いのです。


 食堂で、飲料水をボトルに給水しながら、大会を続行するかどうかかなり迷いました。食事ができなくなったら、リタイアは目の前ですから・・・。
 さらに、気持ちを落とし入れたのは、地図ロイドでスマホのGPSを使いすぎ、早々とバッテリー交換が必要になったこと。さらにバッテリー交換したのだが、雨が入ったのかスマホの起動と動作が妙に遅く、今後役に立たなくなる恐れが出てきたことである。
 この後、俵島まで行ったら100km越え、立石観音も見たいし、千畳敷まで行ったら折り返し、昼間の走行だから夜と違って気分も晴れるはず、などと呪文をかけるように自分に言い聞かせ、さらに、有言実行あるのみ。多くの人に、この大会のことを話しているので、この距離でリタイアは、有り得ないでしょう。と否定的な自分に鞭を打ち、雨の中をカッパを着込んで出発することにしました。

 海湧食堂前で、スタッフの方々が『行ってらっしゃい。瑠璃光寺で待ってますよ。』と応援してくださいました。その方は、C70kmにエントリーされており、明日の朝06:00にスタートするとのことでした。
 凄い、自分のスタートまでボランティアをしているのです。なんか、今リタイアしようとしていた自分が恥ずかしくなりましたし、大きな勇気とパワーを分けてもらえたような気分となり、前向きな気持ちが大きくなってきました。ありがとうございました。
 まずは、11.4km先の俵島です。アップダウンの連続です。

2015年5月17日日曜日

萩往還A250km_完踏記_その1

 萩往還完踏から、2週間経ちました。
 象さんのように腫れ上がっていた脚も1週間ですっきりし、部分的な痛みや疲れが残るものの身体的には元気そのもの。
 この2週間気にかかることは、記憶が薄れないうちに記録しておこうという思いでいっぱいなのですが、日々の忙しさにかまけてブログをアップできないことです。
 さて、前置きはこのくらいにして、記憶を掘り起こしていこうと思います。

 萩往還A250km参加のための事前準備は、萩往還250km(H27事前マップ)萩往還A250km_走行計画萩往還A250kmの準備のページに書きましたように、結構前々から事前に楽しく準備しました。

 平成27年5月1日(金)、業務終了後すぐに帰宅し、ラフな格好に着替え、車に車中泊用マットと寝袋に変身するクッションを5つ詰め込み(ウェア類他は、前日に搭載済み)、18時半に宮崎市を出発しました。
 途中、高速のSAで夕食を取り、山口県美東SAに、1時前に到着し、車中泊しました。
 2日(土)、朝8時に起床し、美東SAで、コロッケ定食をいただきました。

 朝食後、高速を降り、一路大会本部のある香山公園に向かいました。
 長州苑瑠璃光寺店横の駐車場には、山口100萩往還マラニック大会の横断幕が堂々と掲げられていました。
 いつものお決まりの行動として、まずは、長州苑にて、お土産を購入し受付に向かうことにしました。

 スタート地点であり、ゴール地点でもある瑠璃光寺五重塔は、みずみずしく緑に輝く新緑に囲まれ、その威風堂々とした姿を水面(みなも)に映していました。
 明後日の18時までに、必ずここに戻ってくるんだと何度も自分自身に言い聞かせ、確認しました。

 境内の薬師如来に、本大会の無事を祈願し、左の大きな数珠のような縄を回しながら、「オン コロコロ センダリ マトオギ ソワカ」を唱えました。

 受付は、香山公園内の松籟亭(しょうらいてい)で、10時ジャストに始まりました。
 朝早くから駆けつけている選手に、時間前にスタッフの方からジャミセンによる応援歌が披露されるなど、和やかな雰囲気でした。

 受付後、本大会のA部門の駐車場になっている山口図書館に移動しました。
 本年度の参加賞は、萩往還特製ボトルポーチでした。

 本年度のピカピカバッチとネームプレートです。

 うどん券と入浴券が同梱されていました。

 すべてのグッズを確認し、中継地点に預ける荷物を専用のビニル袋に詰め込み、ウエアに着替え、ゼッケンを付け、いつでもスタートできる状態にして、12時まで車中にて仮眠しました。
 12時頃、図書館近くの喫茶店で昼食を摂り、ウルトラセミナーと説明会に参加するために、山口県教育会館(山口図書館の隣)に向かいました。
 セミナーでは、過去にA250km部門に参加した選手から、失敗談や完踏の秘訣を楽しくも実感がこもった体験談をお伺いすることができ、改めて自分自身の闘志を高めることができました。
 また、本大会、この説明会に参加しないとチェックシートがいただけません。

 本大会、命の次に大切だと言われるチェックシートです。
 14カ所のチェック場所と4カ所での食券がついています。

 チェックシートの裏面には、大会本部の電話番号が記載され、さらに氏名と電話番号を記載する部分があります。
 チェックシートを万一落とした場合、連絡ができるかもしれないので必ず氏名と携帯電話番号を記入するよう指導がありました。
 また、本部の電話番号は、万一に備えてすぐに携帯電話に登録しました。

 16時に説明会を終えた後、すぐに荷物を持って、長州苑瑠璃光寺店前の仮設テントまで徒歩で移動し、うどん券を使って夕食をいただきました。

 うどんを食べ終わった頃、長州苑瑠璃光寺店前で、中継地点に預ける荷物の受け付けが程なく始まりましたので、すぐに預けスタートエリアに駆けつけました。

 スタートは、18時より、50名ずつの数分間隔でのウェーブスタート(時差出走)となります。
 ゴール時刻は、ウェーブスタートの時間差を差し引いてくれますが、関門時刻は、ウェーブスタートの時間差を考慮してくれません。
 よって、走力の無い私は、少しでも早いスタートが関門に引っ掛からない方策の一つだと思って、第1ウェーブスタートを狙ったのですが、ちょっと出遅れて第2ウェーブスタートとなりました。

 平成27年5月2日18時、「エイ、エイ、オー」の掛け声とともに、第1ウェーブ50名が出走し、その3分後、18時03分、いよいよ第2ウェーブがスタートとなりました。
 平成27年5月4日18時までの48時間耐久レースの始まりです。
 完踏すれば、人生初の200km越え、人生最長不踏距離が250kmを越えることになります。

2015年5月6日水曜日

萩往還A250km_完踏記

 暑さにへばり、タイツもTシャツも脱ぎ捨て走った初日。
 嵐のような風雨に大会中止アナウンスを期待しながら走行した2日目の夜。
 身も心もぼろぼろになり、リタイヤ時を捜しながらの3日目の萩往還道。
 何とか、歩け歩けの部(F35km)から、6年かかって萩往還A250kmをやっと完踏することができました。
 スタッフ、ボランティア、私設エイド、地元の皆様、参加された選手、応援やお声掛けをいただいたすべての皆様方ありがとうございました。感謝です!!

追伸
宗頭文化センターから玉江駅まで、ご一緒させていただいたお二人のランナーさん、ありがとうございました。
お蔭様で何とかゴールすることができました。

 記憶が薄れないうちに、少しずつ書き留めてゆきたいと思います。

2015年5月4日月曜日

萩往還A250km_32/32_香山公園・瑠璃光寺

走行距離 = 251.1km 
残り距離 =  0.0km 
通過時刻 = 17:24 47h20m
関門時間 = 18:00 
ゴール 
ついに萩往還250kmを制覇。
人生最長不踏距離が、251.1kmになりました。
スタッフ、ボランティア、応援をいただいた皆様方ありがとうございました。

萩往還A250km_27/32_陶芸の村公園

走行距離 = 216.6km 
残り距離 =  34.5km 
通過時刻 = 07:40 
CP14  
ここは、F35km部門のゴールおよび、C70km部門の折り返し地点となりますので、多くの選手と合流します。
また、最後のチェックポイントです。チェックシートにすべてのチェックがなされたことを確認してウエストポーチにしっかり格納しました。

萩往還A250km_25/32_虎ヶ崎・つばきの館

走行距離 = 207.4km 
残り距離 =  43.7km 
通過時刻 = 04:20 
関門時間 = 13:00 
CP12・記帳・GPSの電池交換。
フル5本分を完踏しました。残りは、44km弱です。
食事は、当然おいしいカレーをいただきました。 
6時まで仮眠します。

萩往還A250km_23/32_玉江駅前

走行距離 = 195.5km 
残り距離 =  55.6km 
通過時刻 = 02:00 
萩の町に出てきました。
エイドでは、お茶をいただきました。 
ここからB140km部門の選手と合流です。
B140km部門の選手からA250km部門の選手に送られるエールと羨望の眼差しは、完踏への何よりのエネルギーになります。